"Go North" 北を目指せ

2011 年 4 月、Google クライシスレスポンスのコアメンバー達は被災地に入り、現地の関係者にヒアリングを行った。その目的は、被災地で本当に必要とされているサービスは何かを知るためであった。

2012 年 7 月 6 日掲載

被災地に行ってみなければわからない

2011 年 4 月頭の仙台にて。ガスが完全には復旧していないため、飲食店の一部はメニューを限定して営業していた。

 3 月 11 日の震災発生から半月の間、Google は矢継ぎ早にサービスを開発し、世に送り出し続けた。パーソンファインダー(第 6 回第 7 回第 8 回)を皮切りに、被災地の衛星写真・航空写真(第 13 回)、テレビニュース番組のライブ配信(第 10 回)、自動車・通行実績情報マップ(第 12 回)、被災地生活救援情報(第 16 回)といったサービスを提供し、一方では企業や自治体のインフラをサポート(第 9 回)した。

 しかし、クライシスレスポンスを中心になって推進してきたコアメンバーの中には、疑問も生まれ始めていた。

 「自分たちが作っているサービスは、本当に被災地の役に立っているのだろうか?」

 「今、被災地の人々は、何を必要としているのだろう?」

 Google の社員達はさまざまなニュースソースから情報を集め、必要とされると思われるサービスを開発してきた。パーソンファインダーではボランティアやマスメディア等と連携することで安否情報が 67 万件も登録されたし、衛星写真・航空写真は海外のメディアにも広く利用されている。その他のサービスについても、大勢から好意的な反応を得ていたのは確かだ。ただし、被災地の人々からの声を(ネットからフィードバックは寄せられてはいたとはいえ)直接聞いたわけではなかったし、「その次」に何を提供すべきかメンバーもわからなくなっていた。

 たびたび議論の対象となった課題の 1 つとしては、救援物資があった。全国各地から被災地には救援物資が送られていたが、適切な物資が必要とされている地域に届いていないとも報道されている。ならば、救援物資用の検索・マッチングシステムを作ってサポートするべきなのか? 避難所の状況も地域によって大きく異なり、食事が満足に行き渡っていないところもあると聞く。では、そのデータを誰がどう取得するべきなのか?

 これまでに、Google はハイチやニュージーランドの大地震でもクライシスレスポンスを行ったが、従来の活動は基本的に危機対応であった。しかし、東日本大震災は地震や津波による被害だけでなく、原子力発電所事故も引き起こした、過去に例を見ない大規模かつ複合型の災害である。その影響は、数週間どころか数カ月、数年にも及ぶと予想された。クライシスレスポンスはその後の復興も視野に入れて活動をすべきなのか?

 コアメンバー達はクライシスレスポンスの作業を進めると同時に、こうした課題について議論を交わした。しかし、1 週間ほど経つと議論も堂々巡りになってしまう。

 やがて実際に被災地で人々のニーズを聞いた上で、自分たちに何ができるのかを考えようということで、メンバーの意見は一致した。

 被災地でのヒアリングプロジェクトは、"Go North"(北に向かう)と名付けられた。コアメンバーは、パーソンファインダーなどのサービスで連携した自治体や支援団体と連絡を取り、4 月 4 日から 4 日間の日程で、賀沢秀人、河合敬一、根来香里、藤井宏一郎、村井説人、山崎富美の 6 人が被災地に入った(7 日には牧田信弘も合流した)。

 4 月 4 日(月)の朝、メンバーは羽田から山形空港に飛び、そこからレンタカーで仙台を目指した。4 月頭の東北はまだまだ寒さが厳しいが、道路の路面状態には特に問題もなく 2 時間弱で仙台に到着。仙台駅前の様子は、メンバー達が事前に予想していた光景とはだいぶ異なっていた。建物はほとんど損傷を受けておらず、ガソリンスタンドにも混乱は見られない。営業中の店もところどころにあり、ガスなどの制限がある中、何とかサービスを提供しようとがんばっていた。

 メンバーは数人ずつに分かれて、さっそくヒアリングを開始した。対象となるのは、国土交通省東北地方整備局、宮城県・岩手県の災害対策本部、仙台市役所などの官公庁、仙台の商工会議所や産業振興事業団、東北大学、NPO の支援団体、そして石巻赤十字院病院など、10 箇所以上にも及んだ。

元気に営業していると知ってもらいたい東北の企業

ボランティアを組織して救援活動に当たった、渡辺一馬さん。

 Google のコアメンバー達は、支援物資のマッチングや避難所のサポートで何か協力できることはないかと、官公庁や商工会議所、NPO にヒアリングを行った。

 せんだい・みやぎ NPO センターの渡辺一馬さんらが組織した学生ボランティアの調査により、4 月頭の時点では避難所で飢えている人はほとんどいなくなっていることがわかっていた。救援拠点から避難所まで物資を届ける物流はまだ整っていない面もあったが、ヤマト運輸がボランティアで救援物資を届けたり、他の宅配便業者も 3 月下旬には配送業務を再開するなどして、物流状況は改善に向かいつつあった。避難所には住む家や家族を失った人々がまだまだたくさんおり不便な生活を強いられていたが、この頃には避難者のニーズを細かく聞き、物資を計画的に届けるフェーズに移行していたのである。すでに別の企業が支援物資の管理システムを作り始めていたこともあり、物流の基盤やノウハウを持たない Google としては、物資マッチングシステム開発にリソースを割くのは得策ではないだろう。渡辺一馬さんのアドバイスもあり、そうコアメンバーは判断した。

 一方、仙台商工会議所などからは、ビジネス関連の窮状についての訴えが多かった。

 4 月頭の時点で仙台の電力は回復、ガスも 50 %以上が復旧しており、日常生活には問題なくなっていた。しかし、テレビを始めとするマスコミは、津波被害の甚大だった沿岸部の状況を中心に報道するため、相対的に仙台の復興状況が取り上げられることは少なくなる。地震・津波の被害を乗り越えた企業は、東北圏内での需要の落ち込みをカバーするためにも首都圏を始めとする他の地域からの発注を求めていたが、仙台は壊滅的なダメージからまだ立ち直っていないというイメージが広がっていた。東北は元気だというイメージを全国に向けて発信したい。それがビジネスを再開した企業の切なる願いだったのである。

 もう 1 つ、コアメンバーが被災地で確かめたかったのは、「アーカイブ」の需要であった。被災地は震災直後の混乱から脱し、少しずつ復興に向けて進みつつある。その歩みをすべて記録し、誰もが利用できる形にして公開できないだろうか? 実をいえば、震災発生から間もない時期に、被災地の様子を記録し、ストリートビューで公開しようというアイデアは提唱されてはいた。だが、救助隊やボランティアが救援活動を行っている最中に、ストリートビューを撮影するための自動車(ストリートビューカー)を走らせるのは迷惑だろうということから実行はされていなかった。

 実際に被災地でヒアリングを行ってみると、大勢の人がアーカイブに対して非常に肯定的であることがわかってきた。飲食店によってはガスがなくてもできるメニューを出すなど、さまざまな工夫を行っているが、そういうがんばりも記録に残したい。震災前と震災後でどう風景が変わったかを映像で記録するのは、極めて有意義である。そうした意見がさまざまな人から寄せられた。

300 カ所以上の避難所に 5 万人が避難した石巻

石巻圏合同救護チームを指揮した、石巻赤十字院病院の石井正医師。

 仙台では復興の気運が高まる一方、同じ宮城県でも石巻市の状況はまったく異なっていた。石巻に入ったコアメンバーらは、眼前の光景に息をのんだ。あちこちらに瓦礫の山ができており、これらを片付ける重機の音があたりに響いている。瓦礫の山は圧倒的な巨大さで、片付けが終わるとはとても信じられない。

 人口 22 万人を抱える石巻医療圏(石巻市、東松島市、女川町)は、東日本大震災において最も被害の大きかった地域である。津波によって、石巻市だけでも 3000 人以上が死亡し、600 人以上が行方不明となった。震災発生後まもなく固定電話、携帯電話、インターネットは不通となり、石巻市役所も被災してしまったため、行政機構が麻痺。震災直後には、300 カ所もの避難所に、5 万人の住民が避難するという大混乱状態になった。孤立無援状態の中、石巻赤十字院病院の石井正医師らは、石巻圏合同救護チームを指揮して、被災者の救護や避難所の支援に当たった(石巻圏合同救護チームの活動は、石井正医師自身が執筆した『東日本大震災 石巻災害医療の全記録』(講談社ブルーバックス)に詳しい)。

 石井医師は避難所状況の把握を最重要課題とし、医師や看護師で構成されるチームがすべての避難所を回る「避難所アセスメント」を3 月 17 日から実施していた。避難者の人数や内訳、病人の数・種類、水・電気などのライフライン状況、衛生状態、食糧事情、暖房器具・毛布といった内容について調査シートを作り、毎日データを更新、時系列に沿って保存していったのである。救護チームはこうして収集したデータをもとに、避難所への食料・水の配布や、医師の手配、ラップ式の簡易トイレや手洗い装置の手配を行った。本来であれば保健所で行うべき任務も、行政機構が麻痺していたため、救護チームがこなさなければならなかった。

 石井医師と共に働いている同僚医師の奥さんが通っている料理教室の先生の息子がコアメンバーの 1 人である河合……という何とも細いコネを頼り、メンバー達は石巻赤十字院病院を訪れた(ちなみに、現地入り前には石巻赤十字院病院とコンタクトを取ることができなかった。仙台にある河合の実家を訪れた際、コネのあることが偶然わかったのだという)。4 月頭の時点では、震災当初の大混乱はある程度収まりつつはあったが(震災発生からの 1 週間で来院した被災患者数は 3,938 人)、それでも毎日 150〜200 人もの救急患者が搬送されてきており、医師や看護師は不眠不休で患者の処置に当たっていた。そして、避難所によっては衛生状態がまだ劣悪であったため、避難者の健康やストレス状態が心配されていた。

 収集したデータを閲覧・検索できる仕組みがあれば、避難所への対応をもっと効率的に行えるのではないか?

 そう思いついた石井医師は、ヒアリングを行っていたコアメンバーに相談を持ちかけた。調査項目やエリア、避難所ごとにデータを簡単な操作で並べ替えることができる。時系列に応じて、衛生状況や患者の受診傾向を一目で把握できる。そしてインターネットからアクセスできる、そんなシステムはないだろうか?

 シニアエンジニアリングマネージャーの賀沢らは、こうした要望を受けてシステムの開発を進め、4 月 22 日に完成させた。その後、救護チームの活動が終了する2011 年 9 月 30 日まで、このアセスメントデータ管理システムは利用されることになった。

 実をいえば、4 月の半ば以降、避難者の数は収束に向かいつつあり、幸いなことに感染症の蔓延もなかった。

 「Google が開発したアセスメントデータ管理システムが最初からあれば、本当に便利だったでしょうね。システムのコンセプトも正しいものでしたから、次の災害時には活かせると思います。理想的には、スマートフォンやタブレットから利用可能にして、救護チームが避難所で直接データを入力できればすばらしいでしょう」(石井医師)

ビジネスの支援と災害のアーカイブにフォーカスを当てる

Google が開発した、アセスメントデータ管理システム。広い地域にまたがる避難所の現状を、簡単な操作で把握できるように工夫されている。

 4 月 8 日にいったん帰京したあとも、15 日、20 日とコアメンバーはたびたび被災地を訪れ、被災地の関係者と意見交換を行い、復興支援の方向性を固めていった。

 大きな方向性は 2 つ。東北でビジネスを続けている企業を、全国にアピールすること。そして、もう 1 つは、復興に至る過程を克明に記録していくということである。これらの活動は、「東日本ビジネス支援サイト」と「未来へのキオク」というプロジェクトとして結実していった。

 さて、筆者らは被災地で救援活動に当たった NPO などの関係者に取材したが、その中で印象的な話があった。

 震災発生より 2 週間ほど経つと、東京などの IT 企業やエンジニアから「何をしたらいいかアイデアをください」「こんなサービスを作ったので、Twitter でリツイートしてください」といった連絡が相次いだという。彼らが善意からこうした行動をとったのは間違いないだろう。しかし、救援活動に追われていた現地の人々には、電話でブレストに付き合っている余裕はなかったし、サービスにしても現地のニーズを無視したものが少なくなかった。

 「もし自分たちが何か人の役に立ちたいと思ったら、まず想像力を働かせて、何が役に立つのか仮説を立てる。その上で現地の人と会い、議論を重ね、受け入れられたら実際に作ってみる。キーボードから離れて人に会いに行き、そこでつながりを作ることが重要でしょう」(渡辺一馬さん)

 困っている人を見たら、何かしないと申し訳ない気持ちになる。それは人として当然だし、スキルがある人ほどその気持ちは強いかもしれない。だが、相手の状況を顧みない善意は、逆に相手に迷惑をかける結果にもなりうる。これはサービス開発に限らず、心に留めておかなければならないことだろう。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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