被災地の上空写真を一刻も早く人々の手に(1)

震災直後、被災地に家族や知人のいる人々は、焦燥に駆られた。津波はどこまで及んだのか? 家は流されていないか? Google は、人工衛星からの写真を提供することで人々の不安を少しでも和らげようとした。

2012 年 6 月 1 日掲載

衛星写真に記録された仙台空港の復興

Google Earth を起動し、時計のマークをクリックすると時間を巻き戻せるスライダが現れる。

 YouTube で「仙台空港」を検索すると、駐車場に止められていた大量の車、そして滑走路の上のヘリコプターが津波で押し流される信じられない映像が見つかる。

 だが今、Google Earth のアプリケーションで仙台空港を表示してみると、滑走路の線が少し薄くなっているもののちゃんと空港として機能していることがわかる。写真からは、都市機能を取り戻そうと奮闘した人々の語られない物語があったことが伝わってくる。

 この状態で画面上の「時計」のようなアイコンをクリックすると「時間スライダ」が現れる。これは時間を巻き戻して、過去の衛星写真を表示するための機能だ。

 執筆時点で表示されている写真は 2012 年 3 月 4 日時点のものだが、スライダーを右から 3 分の 1 くらいのところまで巻き戻すと、2009 年 8 月 14 日、しっかりと濃い色の線が滑走路に描かれたかつての仙台空港が姿を現す。

 ここで右の矢印をクリックすると、今度はあの地震の直後、2011 年 3 月 12 日の仙台空港上空にタイプスリップする。あいにくこの日の仙台は厚い雲に覆われており衛星写真からは空港の様子をまったく見ることができない。しかし、もう 1 度右矢印をクリックすると、3 月 13 日に移る。かなり薄まった雲の合間からは、滑走路の線も完全に消え、どこが駐車場だったかもわからなくなった変わり果てた空港が姿を現す。

 さらにクリックして 3 月 14 日になると、空気は澄み、被災した空港のありのままの姿があらわとなる。17日、がれきが整理されたのか、描き直したのか滑走路の線が再び現れる。24日、軍用機らしき飛行機が 2 機止まっている。27日、飛行機は見当たらないが、駐車場にたくさん車が止まっており、空港で何かが起こっているのを感じさせる。4 月 6 日になると、便数が少ないのかやはり飛行機の姿はないが、空港としての活気が感じられる。

 Google Earth で我々が目にする衛星写真は、通常、数年に 1 度ほどのペースでしか更新されない。さらにテクノロジーが進歩したら、もっと頻繁な更新も可能になるのかもしれないが、少なくとも現時点では主要都市でも年に 2 〜 3 回程度の更新頻度だ。

 しかし、東日本大震災からの 1 〜 2 ヶ月は、驚くほどの頻度で更新された。

 その後、3 月 31 日からは、衛星写真以上のディテールを確認できる鮮明な航空写真(人工衛星からではなく、飛行機から撮影した写真)の提供も始まった。

 高精度、高撮影頻度の上空写真から、利用者はたくさんの情報を得ることができる。前回紹介したように「この道路を車がぜんぜん走っていないのは、道の真ん中を津波で流された船がふさいでいるからだ」といったことも現地に着く前にわかる。東北沿岸部にある知り合いの家が、津波で流されていないかも、危険をおかさずに確認できる。

被災状況の写真を、一刻も早く人々に届ける

3 月 12 日に届いた、GeoEye による南相馬の写真。

 地震直後から大量の衛星写真や航空写真を提供すべく奔走していた中心人物の 1 人が仙台出身、Google 米国本社勤めの河合敬一だ。2010 年 11 月までは、Google マップの日本における責任者として、国内メディアにもよく登場していた河合だが、ちょうど大震災の 4 ヶ月前にストリートビューのグローバル担当となり、米国本社に赴任した。

 米国時間 3 月 10 日の夜、河合は自宅のパソコンでインターネット上のニュースなどを読んで過ごしていた。地震が起きるとすぐに会社の仲間からメッセージでその旨を伝える連絡が入った。この数日前に仙台で地震があった際、河合は両親に電話をかけたが、彼らは平然としていたので、今回も同様だろうとそれほど心配していなかった。

 しかし、チャットで話をしていた日本の社員たちから「東京もガンガン揺れています」と聞き、ことの大きさを知る。あわてて親に電話をするも、なかなかつながらない。何回かの電話の後、ようやくつながって無事を確認。そこから河合は、めまぐるしく動き始める。

 同僚で衛星写真、航空写真を担当するケビン リース(Kevin Reece)は、地震が起きてすぐ河合にメールを送り、航空写真の撮影を提案している。ハイチ地震が起こった時、リースは航空写真を提供した経験がある。ハイチでは航空写真を撮影する機材や設備がなかったこともあり、国民だけでなく政府にも歓迎された。ただし、日本では他にも航空写真を撮影する会社はあるし、飛行許可を得るのに時間がかかる。

 河合は航空写真の準備をしつつも、まずはすぐに用意できる衛星写真の準備にとりかかった。Google マップや Google Earth に衛星写真を提供している GeoEye 社に連絡を取ったところ、地震の翌日には写真が届いた。

 「その衛星写真を見たのは、おそらく日本人では私が初めてなんですが、衝撃的でした。まず最初に届いたのは福島の写真です。福島は原発の問題もあったのでマスメディアからも、最も写真のリクエストが大きかった地域ですが、私の場合は妻の実家が福島県南相馬市なので、何よりもまず津波被害が気になりました。Twitter など日本のネットに流れてくる情報を見ても、CNN を始めとするアメリカのメディアを見ても、もしかしたら南相馬市はなくなってしまったんじゃないかという感覚に陥り、不安いっぱいで写真を見ました。すると、普段は絶対に波が来ない場所まで波が来ている。はたして妻の実家はと探したところ無事なことがわかりました。電話もつながらないので、家族がどこにいるのかはわからないけれど、とりあえず家があるのを見て安心したのを覚えています」

Google Earth で最新状況を伝える

Picasa ウェブアルバム上で公開された衛星写真。

 技術とは別の事情があり、航空写真は結局 3 月末まで準備できなかった。河合は航空写真の準備に奔走しつつも、衛星写真の提供に力を入れ続けた。

 「GeoEye 社からの写真は私のところへ自動的に届くので、それをずっとモニタしていました。今日はこのエリアが送られてきたが、雲が多くてわかりにくいので出さない、今日は晴れていたのでここは出す。雲が 20% くらいなら大丈夫そうだから出そうという具合に、迷う写真については私が掲載の判断をしていました」

 ここで河合をジレンマに陥れたのが、被災地に知り合いがいる人は一刻でも早く被災地の状況を知りたいのに、Google Earth (の本体データ)や Google マップに反映するにはそれなりに時間や手間がかかるということだった。

 この東日本大震災で Google Earth には誕生以来最大規模のアクセスが集まるが、それでもビクともしなかった。しかし、それだけ安定したサービスというのは、実は裏側の仕組みも複雑なのだ。

 「Google マップや Google Earth のインフラはとても大がかりです。衛星写真も非常に大きなデータなので、ちょこっとファイルをコピーをしておしまいというわけにはいきません」

 とはいえ、これは人々に必要とされている情報であるはずなので、一刻も早く世の中に出したい。そこで河合は 3 つの方法を取ることにした。

 1 つは、従来のクライシスレスポンスでも行われてきた、KML として提供する方法。KML とは、Google Earth の上に情報を重ね合わせ表示するためのファイルだ。Google Earth 上に直接表示される衛星写真の更新は大変だが、KML の公開自体はそれほど難しくはない。KML ファイルはクライシスレスポンス特設サイトや Google 公式ブログ 日本版からダウンロードできるようになった。

 ただし、KML をダウンロードして Google Earth のアプリケーションから開くというのは、パソコンの操作に慣れていない人には敷居が高い。

 そこで 2 つ目の方法として、写真共有サービスの Picasa ウェブアルバムを利用することにした。衛星写真を細切れにして、Picasa ウェブアルバム上で公開したのである。これら細切れの衛星写真には、海外メディアも利用できるよう、地名の英語表記が添えられた。しかし、Picasa を使ったこの方法にも問題はある。被災地の状況を確認したい人は、まず地図で特定の地域を表示してから、その詳細を見ようとするだろう。

Google マップのマイマップから衛星写真を呼び出す

河合は Google マップのマイマップ機能を使って地図から該当する衛星写真を呼び出せるようにした。

 このニーズに応える第 3 の方法として、河合が採ったのはマイマップを利用した情報提供だ。マイマップとは Google マップの 1 機能で、ユーザーが地図上に自由に印を付けられるというもの。あるポイントをピンで示したり、特定範囲を図形で囲んだりできる。

 河合は、衛星写真に写っている範囲を四角く囲み、これをクリックすると該当箇所の衛星写真がウェブブラウザ上に表示されるようにした(Google Earth プラグインという仕組みにより、該当する KML ファイルの衛星写真がウェブブラウザ上に表示される)。このやり方は、元々 Google のロンドンチームが英語で作業を始めていたものだ。これは使えると思った河合は、その他の作業の合間を縫って日本語のマイマップを作り始めた。

 「本来は会社の公式アカウントを作って情報提供すべきだったかもしれませんが、そんなことを議論したり、手続きしている時間も惜しい。私はプライベートのアカウントでおいしいものマップなどを作って共有していたのですが、同じアカウントで被災地衛星写真のマイマップを公開しました。それまでは私のマイマップへのアクセスなんてせいぜい数百回ほどだったのに、この被災地衛星写真のマイマップは表示回数が 500 万回近くになり、コメントもたくさんいただきました。個人のアカウントでしたから、親戚のおじさんからの『元気ですか?』なんていうコメントもありました(笑)」

 とにかく早く、そして 1 人でも多くの人に正確な情報を伝えたいという思いは広報部も同じだった。被災地の衛星写真は、個人だけでなく、メディアにとっても重要な情報源となる。広報部の富永紗くららは、衛星写真が公開されていることを広めようと奮闘していた。

 Google では新しい製品・サービスができると、公式ブログで紹介を行う。被災地の衛星写真については、Google 米国本社が英語のブログ記事を公開したが、地名が大雑把で、宮城県閖上(ゆりあげ)が仙台などとなっていた。それらの表記を直しつつ、急いで日本語のブログ記事を用意し、3 月 13 日 12:10 に公開した。メディア向けにFAX や電子メールでも情報を流したところ、「あそこの写真はないのか?」といったリクエストもたくさん届くようになった。

コメント欄を通して行われた素顔の Google 社員との交流

 河合が最初にマイマップで提供した写真は、衛星写真からただ切り取っただけのものだったが、それでも人々の関心は非常に大きかった。河合は言う。

 「手を加えていなかったおかげで、かえって使い道も広くなったのかもしれません。多くの人が、『ああ、病院は流されていない』とか、『近所のおじいさんの家は無事だ』といったことを確認できたのではないかと思います。テレビの映像を受動的に見るのと違い、ユーザー自身が住所で検索して写真を見るということ、そして 1 人 1 人のユーザーに対して関連情報を提供できるというのはすごいことだと改めて実感しました。福島にしても、みなさんの関心が高いのは原発だけではなかったといったことがわかりました」

 大勢の人がマイマップのコメント機能を通して、この初めての体験についてのコメントを残した。感謝の言葉のほか、関心ある地域のリクエストも多かった。中には、親戚が入院している病院の様子が知りたいという具体的な要望もあった。自分の本名や電子メールアドレスを書き添えてまで情報を求める人も少なくなかった。

 これらのコメントに対して、河合自身もできる限りメッセージを返した。

 「天候や諸事情によりすべてのリクエストにお応えするのは難しいのですが、担当チームに伝えております。追加の画像も入り次第こちら(コメント欄)でお知らせいたします」という返信に始まり、新たな写真が加わるごとに、閲覧者と気持ちのこもったやり取りを交わした。3 月 14 日に、国土地理院が衛星写真を公開すると、その情報についても閲覧者に紹介している。

 空からの写真は、ハイチやクライストチャーチでの地震でも大活躍をした。現地の状況を確認するためだけでなく、被災地に向かう救援隊や NPO らの道案内としても重要な役割を果たしたことが、過去のクライシスレスポンスからわかっている。

 ただし、はるか高空を回る人工衛星からの写真よりも、飛行機による航空写真の方が精度が高く、被災地の状況をより詳細に把握できる。また人工衛星 GeoEye は、決まった軌道を周回しており、撮影する地域やタイミングを細かく指定するのが難しい。

 河合は、航空写真が必要だという思いを強めていった。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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