東日本大震災で圧倒的な存在感を放っていた コミュニケーションツールの 1 つが Twitter だ。被災地の人も、東京の人も、ほとんど揺れを感じなかった西日本の人たちも、Twitter を通して同じ空気を共有していた。
2011 年 3 月 11 日から今日に至るまで、日本では東日本大震災に関するツイート(つぶやき)が絶えることなく Twitter に投稿され続けている。地震や津波が発生した直後には、1 秒間のツイートが 5000 件以上になったことが 5 回もあった。その後も被災地にいる知り合いの安否情報などを求めるツイートが止まず、日本からツイート数は平常時の 500 %に増えた(参考:Twitter公式ブログ「東日本大地震における地球規模の情報の流れ」)。
筆者(林)の個人的体験でも、地震直後、仙台市にいる友人のツイート(たった 1 回だけだったが)で無事を確認できた。震災当日、同市内の主な場所を自転車で回って Twitter で実況している人も何人かいた。テレビやラジオでは広域のニュースしか伝わってこず、知り合いのいる特定の地域がどのような様子かわからなかったが、Twitterで検索をすれば、その地域の状況を教えてくれるツイートがみつかることが多かった。
震災後の混乱期において、Twitter は政府などが直接情報発信をするための道具としても使われていた。地震発生から 24 分後の 15:10 には、消防庁が災害情報タイムラインという Twitter アカウントの災害時運用を始めている。
その後、総理官邸をはじめ、多くの官庁も Twitter での情報発信を始めた。既存の公式ページではリアルタイムの情報発信が難しいばかりか、アクセスの集中に耐えられないといった問題もあった。
Twitter は支援活動にも使われた。本連載にたびたび登場する仙台の渡辺一馬さんや、オーストラリアからボランティアをしていたウィルソン ナオミさんらも現場スタッフの様子をTwitter で知り、Twitter で指示を出すことが多かった。
大変な状況下、どうしたら世の中に貢献できるかといった議論もたくさん行われた。パーソンファインダーに避難所の手書きの名簿を携帯電話で撮影して、文字起こしするというアイディアも高広伯彦さんが Twitter で提案したのが誕生のきっかけだ。
未曾有の災害に際して、何か人々のためになりたいが、被災地に赴くのは難しいという人たちの間で、Twitter を通して、被災地に役立つ情報を提供しようとする「情報ボランティア」という活動も多く見られた。
筆者自身、地震当日は自分がいた渋谷の交通状況や余震などの情報をツイートしていた。また、おそらく状況がつかめず困惑しているであろう外国人向けにニュースなどの内容を英語でツイートし、被災地で助けを求めている人たちのツイートをリツイート(ツイートを自分のフォロワーに向けて再配信すること)して、情報支援を行っていた。
家族の安否がわかるなど、何かしらのメリットを受けた被災地の人は家族や親類、友人に Twitter を勧めた。タレントや会社社長、ジャーナリストなどフォロワー数が数十万人以上の有名人の元には、被災地の人から「〜で困っている。この情報を RT(リツイート)して欲しい」という宛名(メンション)入りツイートが大量に送られてきた。そうした有名人の中には寝る間も惜しんでリツイートを続けていた人も少なくない。
こうした情報支援は一定の効果があったようだ。東北地方で津波被害がひどかったところに行って、震災直後にどのような IT サービスを使っていたかを聞くと、真っ先に名前があがるのが Twitter だった。