東日本大震災による甚大な被害を受けた地域の 1 つに、宮城県気仙沼市がある。津波による気仙沼市の浸水面積は全市の 5.6%。都市計画区域ならば 20.5% が浸水した。特に住宅や商店、工場など集中する中心地域の被害が大きく、全人口約 74000 人の 1.1% に当たる 800 人以上が亡くなられている。
2012 年 2 月頭、復興が進む気仙沼市の復興商店街で、筆者らは 1 人の女性にお話をうかがうことができた。彼女は、2011 年 3 月から 9 ヶ月間に渡って、気仙沼を始めとする被災地のためにボランティア活動を行ってきた。だが、実は彼女が気仙沼を訪れたのは、この時が最初だった。活動のすべては、遠く離れたオーストラリアで行われたのである。
静岡県出身のウィルソン ナオミさん(Twitter アカウント:@nao73714)は、神奈川で看護士として働いている時に、オーストラリア人の夫と出会い結婚、2009 年からオーストラリア西海岸のパースに住む。世界一美しい都市とも言われるパースは、高齢者らも多く住み、福祉事業が充実していることでも知られる。元看護士のウィルソンさんも、訪問介護の仕事に就いている。
2011 年 3 月 11 日(金)に東日本大震災が起こった時も、ウィルソンさんはいつも通りパースで働いていた。震災のニュースに衝撃を受けた彼女は、すぐさま日本にいる友人の無事を電話やメールで確認しようとした。当日電話は通じなかったが、日本国内からメールでの返信はあった。ちなみに、日本国内ではメールが不通でも、オーストラリアのウィルソンさんとはメールのやり取りができたということもあったそうだ。翌日以降、オーストラリアからなら電話も通じ、幸い友人達はみな無事だとわかった。
友人らの安否が確認できると、次にウィルソンさんが心配したのは病院や避難所の状況だった。災害時、大きな病院は比較的援助も受けやすいが、小規模の病院や在宅患者を抱える世帯は大変に苦労することが、看護士としての経験上わかっていたからである。1995 年 1 月の阪神淡路大震災の時にまだ大阪日赤の看護学生だったウィルソンさんは、十分な支援活動をできなかったという悔いが残っていた。次に災害が起こった時こそもっと支援したいと願っていたが、いざ大災害が起こってみると、自分は日本から遠く離れたオーストラリアにいる。はたして何ができるだろうか?