進化した地図が支援の道を切り開く

被災地支援において大きな役割を果たしたのが地図データである。スピーディな企業間連携により、ホンダなどのカーナビシステムが収集した通行実績情報が Google マップから参照できるようになった。

2012 年 5 月 25 日掲載

通行可能な道がわかる「通行実績情報」は中越沖地震で誕生

通行実績情報と航空写真を地図上で重ね合わせると、なぜ道路が使えないかということも把握できる。図では、道路を大きな船が塞いでいる。

 2011 年 4 月はじめ、カメラマンの三井公一さんは、まだ交通網があまり復旧していない中、車で東北の被災地を目指していた。沿岸部の地域では地震や津波の影響で、通れなくなってしまった道路も多い。彼は、途中スマートフォンやタブレット、パソコンで、Google が提供する「自動車・通行実績情報マップ」を確認していた。

 「通行実績」というのは、過去 24 時間の間に、その道を通った車があるか否かの情報だ。もし、周囲の道は車が通っているのに、ある道路だけ車が通った形跡がないとすると、その道はなんらかの理由で通れなくなっている可能性が高い。

 IT に関するあるフォーラムで、Google の製品開発全般の責任者を務める徳生健太郎がこんな実例を披露していた。気仙沼近くの通行実績のない道路を Google マップで指し示した後、表示を航空写真に切り替えると、なんと道路の真ん中に巨大な船が横たわっていたのだ(地震後しばらく Google は、被災地の航空写真を頻繁に更新していた)。これでは車が通れるわけがない。

 被災地を車で目指す人は、自動車・通行実績情報マップを使うことで、確実に車が通れそうなルートを見つけることができるのだ。

 このように非常に便利な交通実績マップだが、これは Google の発明ではない。

 交通関係に詳しいジャーナリストの神尾寿さんによれば、これは元々、防災推進機構が 2006 年に行った研究に、プローブ情報(自分がどこをどれくらいのスピードで走っているかという移動情報)を早くから(2003 年自動車メーカーとして世界で初めて)実用化していたホンダが協力して実現できたものだという。

 ホンダの通信型カーナビ「インターナビ」を利用した会員制サービス、インターナビ・プレミアムクラブのメンバーは、道路交通情報通信システムセンターから提供される高速道路や幹線道路の渋滞情報を受け取るだけでなく、一般道の混み具合もわかる。同サービスでは、プローブ情報を PHS や 3G の通信経由で「利用者から」リアルタイムに提供してもらう。自分も情報を提供する代わりに、他のメンバーからの情報も受けることで、「どの道がどれくらいのスピードで流れているか」を可視化し、従来よりも詳細な道路の混み具合をわかるようにしていたのだ。

 神尾さんによれば、この情報が、災害時に役立つことが実証されたのは 2007 年 7 月 16 日、中越沖地震が起きた時だという。この時の様子は同社のウェブサイトでも次のように紹介されている:

 「地震発生後の走行データを抽出すれば、被災地における通行可能な場所をおおよそ特定できる。その情報を多くの人が共有できれば、通行できた道がより明確になり、救助や安否の確認に向かいやすくなる。

 スタッフは翌日、フローティングカーシステムで集まった被災地における通行実績のあった道路情報を、防災推進機構に送った。」

ホンダが独自に提供していた情報をわずか 1 日で Google のサービスに

自動車・通行実績情報マップでは、ホンダから提供されたデータを Google マップ上に表示した。青色は、前日の 0 時〜 24 時の間に通行実績のあった道路を示している。

 そんなホンダだけに、2011 年 3 月に東日本大震災が起きた時も行動が早かった。3 月 12 日午前 10:30 には、それまでの 24 時間の通行実績情報をまとめ、同社のウェブサイトにて公開( Google Earth で閲覧可能な KMZ というデータ形式)。その後、毎日午前 10 時に最新の通行実績情報を提供する特設ページを作った。

 これをフリーライターの毛利勝久さん(@mohri)が同日 12:19 に Twitter でつぶやき、大量にリツイートされて広まった。

 ただ、この時点でホンダが提供していた情報は、ファイルをダウンロードし、Google Earth のアプリケーションで開く必要があった。スマートフォンやタブレットでの利用はできず、パソコンでしか見ることができなかった。

 これを見てもどかしい思いをしていたのが、地理関係製品の陣頭指揮を執るエンジニアの後藤正徳だ。

 後藤はシドニーから帰ってきた直後だったが、いち早く、電車の運行情報や避難所情報を提供するサービスをチームメンバーとともに開発。3 月 13 日に被災地の衛星写真を見れるようにした次には、原子力発電所の場所などの情報をどのように表示するかを検討していた。

 地震直後の週末が明けた月曜日、例年ならホワイトデーとして盛り上がっているはずの 3 月 14 日。後藤は「何か他にできることがないか」を探していた。

 「おそらく次に必要なのは救援物資を送ることだと思いました。ただ、車が移動できないという話を聞いていました」

 彼は、ホンダが通行実績情報を無料で公開したことも聞いていたので、そこに目を付けた。後になって、後藤はホンダがすでに Google にアプローチをかけていたことを知るが、この時点ではエンジニアに話が来なかったので行動につながらなかった。後藤は、Google Earth で通行実績情報を見る大変さを感じ、スマートフォンなどでも見られるようにしようと決断する。

 普段はモバイル系のプロダクトマネージャーを務める牧田信弘がホンダに連絡を取った。

 後藤は「もらってきた情報を(Google Earth ではなく)Google マップの上に描いてみたら、これがけっこうわかりやすかったんです」と当時を振り返る。

 「当時、被災地に向かう車の流れは、だいたい朝の 8 時から 9 時がピークだったようです。まずはインフラのしっかりした場所でプランニングをして、9 時か 10 時くらいに出発。現地に昼前くらいに着いて、昼から作業をして夜撤収をするという流れらしいので、午前 9 時頃には情報がちゃんと提供されていないといけませんでした」

 後藤は、3〜4 時間のエンジニアリングで、プログラムの基本部分を作ったが、それでもエラーになる箇所があり、最終的にはデーターや地図に描く色などは手作業で変えて調整した。

 サービスの形が見えてきたところで、後藤は法務部の山田寛に相談する。他社のデータをもらってサービスを提供するからには、通常だと契約書などが必要になるからだ。

 後藤は、承認のプロセスには時間がかかると予想していたが、「快諾一発」だったことにビックリしたようだ。

 山田は YouTube によるテレビ配信の可否を判断する時も、まずは人助けを最優先したが、この時もその姿勢は崩れなかった。

 「通常は、契約書を交わしてから動き始めるのがルールですが、こうした緊急時に契約書などを交わしていたら、自分の会社だけでなく自動車会社さんの方のリソースも無駄にしてしまいます」

 山田は、とりあえず、先方に情報を提供する意思があることをメールで一筆書いてもらうだけでサービスの提供開始には十分と判断した。一方で、プロジェクトマネージャーのブラッド エリスと相談し、他の案件も含めて、どのパートナーからどのような情報を受け取ったかだけはきっちりとリスト化しておき、後日対応できるように管理することとした。

 「後で(契約書が)必要になったら、その時に考えようということにしました。米国本社にも『東京の状況はこうだ。時間が重要で、悪いけれどこうさせてくれ。契約書とか少しすっとばしているところもあるけれど勘弁してほしい』とメールで伝えたところ、そのようなアプローチについては『I fully support (それでいい)』いう返事が返ってきました」という。

 予想外に早く話が通ったことにも押され、エンジニアリングに取りかかり始めた同日中にはサービスとして公開され、Google 公式ブログ日本版で告知されている。

携帯電話や ITS にも対応

震災の翌週には、非スマートフォンの携帯電話からも自動車・通行実績情報マップが参照できるようになった。

 サービス提供開始から 1 〜 2 日が経った頃、後藤のチームのメンバー 2 人が「携帯電話で使えるようにしないと、被災地で使えないんじゃないですか?」と疑問をぶつけてきた。

 後藤も同意し「そうだよね。誰かやってくれないかな?」と疑問を返したところ、言い出した 2 人が、すぐに作業に取りかかることになった。このサービスは 同じ週内に完成し、Google 公式ブログで紹介された。

 翌週には、通行実績情報の提供元も変更になった。それまでのホンダからのデータに代わって、特定非営利活動法人、ITS Japanのデータになったのだ。

 ITS(Intelligent Transport Systems:高度道路交通システム)とは、人と道路と自動車の間で情報の受発信を行い、道路交通が抱える事故や渋滞、環境対策など、様々な課題を解決するためのシステムのこと。同団体が提供する情報にはホンダに加え、トヨタや日産などの情報も含まれている。つまり、ホンダ(およびそのデータを利用しているパイオニア)のカーナビを搭載した車が通らなくても、トヨタや日産の車が通れば通行実績がわかるのだ。

 同サービスの一番の利用者は、何かしらの支援しようと東北地方沿岸部の被災地を目指す人々であった。実際にそうした人々の間では、この情報が役立ったという声をよく耳にする。

 冒頭に登場したカメラマンの三井公一さんのように、IT に詳しい人であれば、自分でこの交通実績情報を探って被災地を目指すことができるし、そうでなくても仲間内に詳しい人がいれば情報を活用できる。

 自らも地震で家を失いながら仙台で人を束ねて被災地の支援活動を行っていた渡辺一馬さんも、この情報を活用していた一人で「非常に役に立った」という。彼は被災地に物資を運ぶ仲間に、印刷した通行実績情報マップを渡したり、携帯電話が通じる場合は電話を使って「その道は通れない」などと指示を出していた。

 最近ではこうした通行実績の情報は、Google のサービスに頼らないでも、通信機能を搭載したカーナビからも参照できるようになりつつある。まだまだ主流の DVD-ROM やハードディスクドライブなどの道路情報を参照する方式のカーナビでは利用できないが、「2010 年以降、急速に広がっている通信型カーナビでは、ユーザー側の走行実績データを収集・共有するものが主流になっている」(神尾さん)のだ。

「特に成長が著しいのが、携帯電話やスマートフォン向けアプリを使ったカーナビサービス。これらは地図の提供やルート計算をクラウド上で行うため、『モバイル通信を利用してユーザー側の端末と常につながる』ことが前提になっている。そのためユーザー側か走行実績データなどプローブ情報を集めやすい、という特長をもっています。他方で、従来の据え付け型カーナビでも、2010 年以降は主要な高速道路や幹線道路の新規開通ラッシュが続くため、タイムリーに『地図のアップデート(更新)』ができる通信機能内蔵が主流になっている。こちらも最初から通信機能内蔵ですので、プローブシステムが基本機能として用意されています。2010 年代のカーナビは何らかの通信機能を内蔵し、インターネットにつながるクラウド化が前提になっている。そのためプローブ情報の多方面での有効活用は、今後さらに進むでしょう」(神尾さん)

海外救援隊にオフライン版 Google Earth を提供

 大規模な自然災害が発生した直後は、周囲の人が現地を目指して救援活動を行う必要がある。その際、重要になるのが、こうした地図の情報だ。これは何も車だけに限った話ではない。

 実をいえば Google は、被災地を船で目指す米国からの救援隊用にも特別な地図を提供していた。他の企業との交渉を担当する村井説人は、地震が起きた時、ある会社との契約を済ませるために沖縄にいて、高速道路で車を運転中だった。揺れにはまったく気がつかなかったが、取引先に到着すると、テレビで津波のニュースが流れていてただごとでなかったことを知る。

 まもなく Google の米国本社から「米国のカリフォルニアやバージニアの救援隊がすぐに日本に向かう」との連絡をもらった。人命救助では 48 時間以内がもっとも大事なので緊急で動くということだった。こうした救援隊は、現地の土地勘があるわけではないので、地理情報が非常に重要だ。最近ではパソコンを持っていって、そこにオフラインで使える Google Earth の特別版を表示し、皆でその上に「ここに向かう」といったピンを立てては、しらみつぶしに救援作業を行うということが多い。特に今回は津波ですべてが壊滅状態で、どこに家がありどこに道があるのかまったくわからない状態だった。それを補完したのが地図と衛星写真と位置情報。的確に生存者を見つけるためには、これら情報が最重要であった。

 ただ、Googleが提供している衛星写真や航空写真、地図には Google 以外の情報に頼っているものもある。例えば地図は株式会社ゼンリンのものを使っているし、衛星写真・航空写真の一部は国際航業株式会社の情報を使っている。いずれもインターネットを通して使う契約になっており、オフライン、つまりインターネットにつながらない環境での利用は許可されていない。

 交渉担当の村井にとっては、その解決が急務であり、1 日もかけずに、すぐに許可をとらなければならなかった。急いで東京に帰ろうとするが、飛行機が飛ばず身動きが取れない。そこで彼は沖縄のホテルで、電話を片手にゼンリンデータコムの社長や国際航業の幹部と直接、話をさせてもらい「急遽、そういう話になった。これくらいの台数に限ってオフラインで利用させてもらいたい」と交渉した。

 先方は社長ではあるが、こうした判断は経営会議にかけなければならない。そこで翌日には経営会議にかけ、「今回は時も時なのですぐにご利用ください。その後の利用方法については Google の村井さんに一任します」と電話をかけてきてくれた。これが村井にとっての最初のクライシスレスポンスとなった。

 はたして救援隊には日本の情報に対応したオフライン版 Google Earth が渡り、無事、被災地の救援に向かうことができた、という。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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