なぜ災害をデジタルで記録するのか?

甚大な被害をもたらした東日本大震災は、デジタル技術によって極めて詳細に記録が取られた歴史上でも希有な大災害でもある。デジタルで残された記憶は、たんなる思い出ではない。未来に向かうための道しるべともなるのだ。

2012 年 11 月 30 日掲載

失われた思い出がウェブ上によみがえる

「未来へのキオク」と「Yahoo! 東日本大震災 写真保存プロジェクト」には5万枚もの写真が寄せられた。何気ない日常の写真が、記憶を呼び覚ます。

 この連載では、ウェブを始めとする IT によって、どのような災害対応が可能になったか(あるいはなりえるのか)をレポートしてきた。今回は、デジタルで記録を残すことの意義について改めて考えてみたい。

 何百年も前の文書に記された地震や津波の記録によって、災害規模や避難方法に関する貴重な知見が得られるのはご存じの通りだが、デジタル技術による記録は媒体をたんにハードディスクやメモリに変えただけではない。

 IT を用いてデジタルで記録することの目的は、おおまかに 2 つに分けられる。

 1つは、紙やフィルムなどに記録するのと同じく、人間が見聞きするため。そしてもう1つは、コンピュータで利用するためである。

 まず、人間が見るための記憶ということについては、写真や動画などのアーカイブが挙げられる。

 Google では、第 21 回でも取り上げた「東日本ビジネス支援サイト」などの取り組みを 4 月下旬頃から開始していたが、そうしたビジネス面以外にもデジタルアーカイブで復興支援を行おうというアイデアが Google 社内から出てきた。それは、被災地の「記憶」を取り戻すということである。

「震災前におじいさんといつも行っていた公園とか、友達といったお祭りとか、そういった失われた記憶をもう一度思い出すことができれば、復興の力になるのではないかと考えました」(プロダクトマーケティングマネージャー 須賀健人)

 その頃、津波で汚れてしまった写真をきれいにするボランティア活動なども始まっていたが、インターネットに強みを持つ Google の力をうまく活かせる方法はないか。

 そこで利用されたのが、写真共有サービスの Picasa ウェブアルバムである。一人一人が持っていたリアルなアルバムを取り戻すことは、Google にはできない。けれど写真を通じ、同じ経験をした者同士で、記憶を共有する手伝いならできるはずだ。

 5月末、Google のマーケティングチームは、「未来へのキオク」と名付けたサイトをオープンした。このサイトでは写真なら Picasa ウェブアルバムに、動画なら YouTube に、誰でも投稿することができる。また、特定の写真や動画を探している人が、関連する場所やテーマを指定して募集することも可能だ。2011 年 5 月から 2012 年 2 月までの間に、552件の募集テーマが立てられ、これらのリクエストに対して 5 万点以上の写真や動画が全国から寄せられた。中には1950年代に撮影された写真もあったという。

「祭りや花火大会などハレの写真が多かったのですが、地元の中学校や商店街の写真が欲しいというリクエストもありました。普通の学校生活、普通の公園など、毎日の暮らしが映っている写真は、とても印象的でしたね」(須賀)

 同時期、Yahoo! JAPAN でも「Yahoo! 東日本大震災 写真保存プロジェクト」を始めていた。10 月になると、GoogleとYahoo! JAPANは協力関係を進め、どちらかのプロジェクトに投稿された写真は、他方からも見られるようにした。

ストリートビューで商店街を支援

「ストリートビュートライク(三輪車)」が仙台の街を疾走して、ストリートビューを撮影した。

 Google マップには、ストリートビューという機能が備わっている。これは指定した地点の風景を 360° のパノラマ写真で見られるというものだ。ストリートビューを実現するため、Google はストリートビューカーという、専用撮影機材を搭載した自動車を世界中の道路で走らせている。また、一部の名所旧跡や商店街などのスポットについては、パノラマで撮影した写真を使ったストリートビューも公開している。

 クライシスレスポンスのコアチームは、「Go North」プロジェクトとして何度も被災地に足を運び(参考:第 17 回)、現地の要望をくみ上げようとしていた。ストリートビューによるお店紹介をさまざまな人や自治体に提案したところ、好意的に受け止められた。

 そこで仙台の商工会議所と協力して地元商店に協力を呼びかけ、仙台市内の商店街と近隣の商店について、ストリートビューと「おみせフォト」の撮影を行った。ストリートビュー用の撮影機材を積んだ三輪車をこぐ、Google スタッフの姿は地元でも大いに話題を呼んだ。撮影許可の出た商店については、スタッフが1件ずつ訪問し、魚眼レンズを使って撮影する。商店街を歩き回り、気になる商店があればすっと店内へ……バーチャルな商店街散策がウェブから楽しめるわけだ。

 仙台以外の宮城県、岩手県、秋田県、青森県、福島県でも商店や旅館などの数百店舗も順次撮影が進められ、これらは 2012 年 2 月にまとめて公開された。

震災の爪痕を記録する「デジタルアーカイブ」

震災前後のストリートビューを切り替えて表示できる「デジタルアーカイブ」は、未来へのキオク内で公開されている。

 一方、ストリートビューで被災地の状況を記録しようというアイデアは、震災直後からクライシスレスポンスコアチームの間で出てはいた。しかし、すぐに役立つわけではないストリートビューで現地の救援活動を邪魔するようなことがあってはならないため、優先度は下げられた。それに実際のところ、震災直後の被災地はあちこちで道路が破壊され、給油所にもガソリンが供給されていなかったため、物理的にストリートビューカーを走らせることが不可能だったのであるが。

 震災直後の混乱がある程度おさまってきた 4 月になると、コアチームは再度ストリートビューの検討を始める。中心となったのは、仙台出身で米国本社勤めの河合敬一である。被災地のストリートビューを撮影することは、はたして該当地域の人々に受けいられるだろうか? 社内にも慎重論は多かった。

 しかし、被災地を取材しているジャーナリストや大学の研究者らにヒアリングしてみると、肯定的な回答が寄せられた。彼らは資料として残すためにあちこち撮影をしていたが、東日本大震災の被害地域はあまりにも大きく、各人のカメラで撮影するには限界がある。位置関係も含めて膨大な地域を映像として記録するには、専用機材を搭載した自動車から撮影するしかない。コアチームの河合らは、被災した各地の自治体に足を運び、被災地の迷惑にならないよう撮影を行う旨、説明を行った。

 この「デジタルアーカイブ」プロジェクトの皮切りとなったのは、特に甚大な被害を被った気仙沼市である。2011 年 7 月 8 日、デジタルアーカイブの開始を宣言する記者会見において、菅原 茂市長は次のように述べた。

「(このデジタルアーカイブは)今後もたぶん永遠に続くプロジェクトなんだろうなと思います。その中にあって、今回被災したこの気仙沼市を始め、三陸沿岸の町並みをこの時点で記録していただくことは必ずや、のちに私たちにとって貴重な財産になるでしょう」

 この日から同年 12 月まで半年近くかけ、Google のストリートビューカーは東北地方の沿岸地域、主要都市周辺の撮影を行った。のべ走行距離は 4 万 4000km にも及んだという。通常のストリートビューであれば、一番最新のデータのみが表示されるが、「未来へのキオク」で公開されたデジタルアーカイブは、同じ地点で震災前後のストリートビューを切り替えて表示することが可能だ。

 視線の方向も震災前後で合わせてあるため、場所によっては立ち並んでいた家々が、表示を切り替えると跡形もなくなってしまう……。地点ごとに解説がついているわけではないが、津波の恐ろしさが何より雄弁に語られている。津波の影響がどこまであったのかも詳しくわかるため、このストリートビュー映像を災害研究に利用している研究者も多い。デジタルアーカイブはその後も継続的に進められており、現在では 6 県 47 市町村が対象となっている。

遺構をデジタルで残す

津波で破壊された、唐丹小学校の情景を魚眼カメラで収めていく。

 2012 年 11 月には、デジタルアーカイブの新たな取り組みとして、「震災遺構デジタルアーカイブプロジェクト」も始まっている。こちらは、被害を受けた施設の外観や内部を、ストリートビューの技術で撮影するというもの。先に挙げた「おみせフォト」と同じ技術を利用している。1 つ 1 つの部屋をカメラマンが巡り、魚眼カメラを使って数回撮影を行う。これを専用の画像処理ツールに掛けると、ストリートビュー用のデータが生成される。

 最初に撮影が開始されたのは、釜石市立唐丹小学校である。釜石市の沿岸部にある小中学校はいずれも津波によって甚大な被害を受けた。唐丹小学校も体育館が流され、校舎は3階まで海水に浸かってしまった。しかし、これらの小中学校では事前の防災訓練が行き届いており、学校にいた児童や教職員はいちはやく高台に避難し、ほぼ全員が無事だった。避難の成功は「釜石の奇跡」として国内外に大きく報道され、唐丹小学校の校舎はその象徴ともなった。

 被害を受けた施設の多くは 2012 年度中にも解体が予定されているが、後世に津波の被害を伝えるために、デジタルアーカイブ化が決まったのである。デジタルアーカイブの対象となるのは、開始時点では岩手県釜石市、大船渡市、陸前高田市、そして福島県浪江戸町の 32 箇所。アーカイブ化を希望する、自治体や施設管理者からのリクエストも受け付けている。

 釜石市の嶋田賢和副市長は、被災地の自治体ではどうしても記録が後回しになってしまいがちだという。

「現在、釜石は復興に向けて進んでいますが、被災した施設を残すべきではないかという意見は以前から出ていました。記録をしっかり残して後世に伝えることも喫緊の課題だと考え、どう残すべきかと悩んでいるところに、ちょうど Google からデジタルアーカイブのお話がありました」

 Google は震災以前から広島原爆ドームなどのモニュメントをストリートビューで公開しているが、これらのアーカイブには現在でも世界各地からたくさんのアクセスがある。

「震災によって、私たちは今が永遠ではないということを教えられました。通っていた学校、いつもの職場が一瞬で失われてしまう、そんなことを誰が想像したでしょう? 今と言う一瞬を目に見えるカタチで残す。ストリートビューを使ってその一瞬を残すことに貢献していきたいと思っています。また、日々撤去を余儀なくされている震災遺構も、ストリートビューを活用することでこの震災の深刻さと恐ろしさを記録することができると考えています。今回の活動が、震災の記憶の風化を防止する一助になれればと思っています」(パートナーシップ担当 村井説人)

オープンデータの可能性とは?

Google Earth 上にマスメディアの報道や Twitter のツイートをマッピングした「東日本大震災マスメディア カバレッジ マップ」。

 デジタルを用いた記録の、もう1つの側面が、コンピュータでの利用だ。

 写真や動画などの映像・音声、ブログの記事やツイートなどのテキスト、被害の場所を記した地図、これらは人間が利用することを前提に作られているわけだが、コンピュータで処理するとまた別の意味を持ってくる。

 例えば、Twitter のツイートには 140 文字までのテキスト、画像へのリンク、位置情報などが含まれている。大量のツイートをまとめてコンピュータで処理すれば、どのようなキーワードが多く使われているか、どのような場所にいる人からのツイートが多いのか、といったことが見えてくる。

 インターネット上を流れる膨大なデータをさまざまな組織がオープンにし、それらを処理して価値のある知見を得る。これがオープンデータの考え方だ。

 2012 年 7 月に、仙台において「Big Tent 2012」という Google 主催のイベントが開催された。これは、自然災害に対して IT がどう支援するのかを報告する国際会議である。Big Tent において、大きなテーマとなっていたのがオープンデータだ。政府だけでなく、さまざまな組織が情報共有を行うために、コンピュータで処理できるオープンデータを目指すべきだという。

 では、オープンデータ化が進むと、いったいどのような変化が起こるのか?

 その具体的な可能性を垣間見せてくれたのが、2012 年 9 月 12 日から 10 月 28 日まで開催された「東日本大震災ビッグデータワークショップ」である。

 Google と Twitter が共同主催したこのワークショップは、東日本大震災から 1 週間の間、さまざまなサービスで実際に発生したデータを参加者に提供するというもので、朝日新聞、JCC、ゼンリンデータコム、NHK、本田技研工業、レスキューナウがパートナーとなっている。ワークショップ参加者は、データを自由に利用して、研究を行ったり、サービス開発に利用することができる。提供データは、「1 週間分の朝日新聞記事」「Google トレンド」「テレビ放送テキスト要約データ」「1 週間分のツイート」「NHK 総合テレビにおける震災発生直後からの放送音声書き起こしと、頻出ワードランキング」「インターナビ通行実績マップデータ」「鉄道運行情報」「混雑統計データ」の全部で 8 つ。このほか関連データとして、ウェザーニューズや日本気象協会による気象データも提供された。

 ワークショップの期間は 1 ヶ月半と短かったが、この間に 50 以上ものプロジェクトが立ち上がった。

 ワークショップによる成果の 1 つが、首都大学東京 渡邉英徳准教授による「東日本大震災マスメディア カバレッジ マップ」である。渡邉准教授はこれまでにも、被災地の写真とパノラマ画像、ウェザーニューズの減災リポートを Google Earth にマッピングした「東日本大震災アーカイブ」や、やはり Google Earth 上に被爆直後から現在に至る長崎の変遷をマッピングした「ナガサキ・アーカイブ」などの作品を発表している。

 今回のマスメディア カバレッジ マップは、NHK や朝日新聞、JCC の報道内容から地名を抽出して、Google Earth 上にマッピング、これに Twitter のツイートや通行実績情報、先述の東日本大震災アーカイブに収録されている被災者の証言を重ね合わせた。テレビなどで状況が報道された場所は赤い点で、ソーシャルメディアなどの情報が緑の点で表示される。

「マスメディア カバレッジ マップを作成した目的は、情報の空白地帯を可視化するためです。テレビでは報道されなかったけれど被害が甚大だった地域がこれによって浮かび上がり、マスメディアとソーシャルメディアが補完的な関係にあることがわかりました。次に災害が起こった時には、情報の空白地帯を作らないように戦略を立てることができるでしょう」(渡邉准教授)

多様なデータを結びつけることで、新たな対策が見えてくる

 インターネットが登場するまで、情報の流れは概ね一方通行だった。記録された情報は各所に偏在し、それらをつなぎ合わせて俯瞰的に捉えるのは難しかった。しかし、デジタルで記録された情報は、一箇所に留まることなく、インターネット上を双方向、多方向に流れ続ける。一個人の経験もデジタル化されることで、みんなと共有される。見知らぬ人や土地の記憶を共有して、リアルに共感することだってできるようになったのだ。

 さらに、記録がコンピュータで処理しやすい形で公開されていれば、それらを組み合わせることで、これまでにない知見を得られる。そして、その知見もすぐにみなで共有できるようになる。

 種々のデータを組み合わせて分析を行うには専門的な知識が必要になるが、誰もが専門家になる必要はない。重要なのは、デジタル化された記録を共有すれば、新しい価値が生まれる可能性があると私たちが理解することだ。

 例えば、最近のスマートフォンは、高性能のカメラとGPS機能を備えている。位置情報を記録するようにしていれば、その写真がいつどこで撮影されたかも正確にわかる。これらの写真を大量に集めて、コンピュータで処理をすれば、災害の被害状況や避難ルートを分析する手がかりにもなる。

 そうした理解が一般にも広まれば、結果的に政府や企業の情報公開が進み、より迅速で柔軟な災害対応も可能になっていくだろう。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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