被災地で IT は役立ったか?(1)

これまでの記事では震災直後からの Google の取り組みを紹介してきた。被害の少なかった首都圏や西日本では、Twitter や Google のクライシスレスポンスは注目を集めた。では、被災地でこれらのサービスは役立ったのだろうか?

2012 年 3 月 30 日掲載

被災地では知名度の低かったクライシスレスポンス

 震災直後、インターネット上の各種支援サービスは本当に人々の役に立ったのか。今回ほど IT が活躍した自然災害はないという声がある一方、本連載の読者からも、通信インフラが絶大な被害を被った状況で IT は役に立たなかったのではないか、という厳しい意見をいただいている。

 その答えは簡単には出てこない。被災地域はあまりにも広く、被害の状況は千差万別。置かれた状況によって被災者が求めている情報もまったく異なるからだ。

 大きな被害にあった東北地方沿岸部であれば、真っ先に知りたかった情報は、避難場所であり、余震への対処方法であったろう。大きな揺れを感じた程度に留まった東京では、帰宅するための交通手段が最も気になる情報だった。

 ただし、どこでどのような形で被災したにしても、共通して必要とされていたのは、何が起きたのかについての正確な情報と近しい人々の安否情報である。

 震災発生からわずか 1 時間 46 分後、Google は安否確認サービス「パーソンファインダー」の提供を開始し、その後 17 時 7 分にはクライシスレスポンスページを立ち上げて地震情報の掲載を始めている。

 そのことはすぐさま Twitter などを通じて広がり、大きな話題を呼んだが、はたして被害の大きかった東北の被災地にもちゃんと伝わり活用されていたのか。

 この連載の執筆に当たり、津波被害にあった東北地方沿岸部を中心に取材を行った。知人や関係機関のほか、不特定多数の方々が集まる会にも参加してきたが、残念ながらクライシスレスポンスが役に立ったという話はあまり聞けなかった。

 情報へのニーズがなかったわけではない。安否情報のほかにも、自分が住む地域の被害状況や救援物資が得られる場所、停電の期間など、必要な情報はいくらでもあった。しかし、それらにアクセスするのに必要な電気や通信のインフラが利用できなかったのである。

 総務省の報告では、東北・関東の携帯電話基地局約 7 万局のうち、ピーク時では約 1 万 4800 局が停波(電波の送受信ができない状態)になっていたという。固定の電話回線にしても東北地方の契約回線 270 万件中、ピーク時で 100 万件が不通状態になっていた( 参考:総務省「東北地方太平洋沖地震における通信の復旧状況」)。

 宮城県亘理郡の山元町では、通信インフラどころか、町内の防災無線設備すら地震の影響で壊れてしまっていた。

 大きな津波被害にあった気仙沼や石巻も、数日間は外部からまったく連絡の取れない状態にあった。

 人口 100 万人を超える政令指定都市であり、今回の被害地域で最大の都市、仙台でも電話の混乱状態は約 5 日間続いた。また、たいていの地区では、電気の復旧に 2 〜 5 日、水道が約 1 週間、都市ガスの復旧には約 1 ヶ月かかったという。

地域によって、被災状況は千差万別

一般社団法人ワカツク代表理事の渡辺一馬さんは、ボランティアを組織して避難所のヒアリングを行うなど、さまざまな支援援活動を行った。

 ただし、上で述べたのは被災地の状況を平均化した像である。被災者 1 人 1 人がまったく異なる状況に置かれていたという方が現実に近そうだ。

 例えば仙台市役所では、自家発電機の電力を使って、停電中でもテレビの視聴や携帯電話の充電ができた。河北新報社も 3 月 11 日は自家発電を行ったが、12日の午後には復旧している。

 自家用車を所有している人は、エンジンをかけてラジオやテレビを見ることができた。ハイブリッド車を使って携帯電話の充電をしていた家もある。

 一般家庭のネット回線についても、震災当日に使えていたところもあれば、寸断したが翌日には復旧したところも、しばらく使えないままだったところもある。

 意外なことに、仙台市内では地震直後に携帯電話がなんとか使えていたという証言が多い。

 仙台市役所の職員によれば、地震後 10 分間くらいは携帯メールで家族の安否が確認できていたという(その後はつながりにくくなった)。

 仙台市北部の住宅地に住んでいた、人材育成事業を営む渡辺一馬さんによれば、 3 月 11 日いっぱいは仙台市内中心部の一部のほか、避難先である宮城県南部の角田市でも NTT ドコモやイー・モバイルが利用できていた。

 ソフトバンクの携帯電話も、震災当日から翌朝まではつながったとコンピューターグラフィックスの専門家、鹿野護さんは証言している。

 いずれの回線も 3 月 11 日当日は、接続状況が悪いながらなんとかつながっていたが、3 月 12 日からはつながらなくなる。これはおそらく携帯電話の基地局の予備電力が切れてしまったからだろう。

 今回の取材では、震災直後に仙台市内で au を利用した人にたまたま会わなかったが、NHK 科学文化部のブログ「NHKかぶんブログ」が Twitter で行った調査レポート「震災と携帯電話・調査結果をまとめました」を見る限り、au の状況もほぼ同じだったと言えそうだ。

ある避難所での通信状況

デザイナーの鹿野護さんが、3 月 14 日に行った Twitter 上でのやり取りの様子。

 携帯電話がつながったといっても、数回に 1 回の頻度の人も入れば、数十回に 1 回の人もいる。いずれにせよ平常時のように、自由にインターネットが利用できていたわけではなく、1 人 1 人がなんとか安否を伝えよう、なんとか情報を得ようと奮闘していた。

 震災後に仙台の避難所で一夜を過ごしたあと、自宅へ戻った鹿野さんは、4、5 日間は知人と連絡を取ることができなかった。iPhone を使って Twitter から情報を得ようとしていたが、1 度 Twitter につながったかと思えば、次につながるのは数時間後ということもあったという。

 こうした状況下で、ふだん利用したことのない緊急事用サービスの存在を知るのはなかなか難しい。

 一方、多くの人が普段から使い慣れていた Twitter は、自分の安否情報や知りたい情報について短文で送ることができ、なおかつ自分宛の情報を 1 回の接続で一気に取得して後でまとめて読めるため重宝された(今後の被災地を支援する情報サービスを作りたいのであれば、この点をよく考慮した方がよいだろう)。被災地の中でも比較的インフラに恵まれていた仙台では、震災直後に利用していたサービスとして Twitter を挙げる人が多かった。

 地震当日、鹿野さんが Twitter でつぶやくと、大勢の人が「生きていたんだ」、「生きているなら大丈夫」というつぶやきを返してくれた。ただ逆に、そのつぶやきを見て、事の深刻さを知り不安に駆られたともいう。3 日間、テレビが見られず何が起きたのか全体像がまったくわからない中、近所の店や個人の被害状況が名前入りでどんどん Twitter のタイムラインを流れていく。それは、これまでにない衝撃的な体験だったという。

 鹿野さんはその後、自宅で電気とインターネット接続が再開すると同時に、Google のパーソンファインダーの存在を知ってそれを活用し始めた。だがそれまでの間は、Twitter がほぼ唯一のインターネット系情報源で、知人の安否の情報もこれで得ていたという。

 だが、先にも書いた通りその Twitter が利用できたのも、携帯電話基地局の予備電源が切れる 3 月 12 日の朝方までの話である。そこからほぼ 2 日間は電波も通じない、電気もない状態に入る。

有益だったラジオの情報

高橋厚さんらは、震災から 10 日後に「りんごラジオ」を開局した。

 インターネットにはつながらなかったものの、放送を通して情報を得ていた人は多い。

 震災での携帯電話利用というとインターネットが取り上げられやすいが、実は大勢の人がワンセグ放送の恩恵に授かっていたようだ。

 もう 1 つ、放送といえば忘れてはならないのがラジオの存在である。ラジオはバッテリーで比較的長時間聴取できる上、他の作業をしながら聞くことができるのも大きなメリットだった。

 震災後すぐに、いくつかの臨時災害放送局が立ち上がった。これは、放送法で「臨時かつ一時の目的のための放送」(臨時目的放送)用と規定され認可が与えられる放送局だ。特に「りんごラジオ」の愛称で親しまれる、山元町の「やまもとさいがいエフエム」は、孤立した町の住民に向け、生活情報や安否の情報、人々を不安を和らげる音楽を流した。

インターネットは被災地を外から支援するのに役立った?

iPhone写真家としても有名な三井公一さんが、2011 年 4 月の訪問時に撮影した気仙沼の写真。

 今回の震災では、Google などのインターネットサービスが役に立たなかったのかといえば、そうではないようだ。

 被害が少ない関東以西の地域では、Google のサービスを役立てていたという声をよく耳にする。

 連載第 1 回目で紹介した千葉県在住の菊田智さんも、出身地気仙沼の安否情報をパーソンファインダーで検索・入力し、周囲への啓蒙活動に精を出していた。

 被災地でも、時間が経ってインフラが復旧してくると、情報ツールが本格的に役に立ち始める。

 仙台の中心部では、震災から 2 日目に電気とインターネット環境が復旧していたところもある。角田市から仙台市中心部の事務所に戻ってきた渡辺一馬さんも 14 日(月)にはパソコンとインターネットを利用することができた。渡辺さんは、パソコンで Google の通行実績情報マップを参照しながら、沿岸地域に支援に向かうボランティアスタッフに携帯電話でルートの指示を出していた(この時は、au の携帯電話が電波のカバーエリアが広いためか、一番つながりやすかったという)。

 4 月に入ると、東京のカメラマンの三井公一さんもスマートフォンやタブレット、パソコンで通行実績情報マップを確認しながら被災地に入った。

 これは筆者の仮説だが、Google を始めとする情報サービスは、被災地に支援の手を差し伸べようとした人々をうまく補助した可能性が高い。もっとも、今となっては、実際にこれらのツールを利用していたのが誰なのかを知ることは難しく、引き続き取材をしているところだ。

マスメディアとインターネットの連携に未来がある

 インターネットは、被災地から世界に向けて情報を発信するためのメディアとしても、大きな役割を果たした。

 3 月 11 日の東日本大震災の発生以後、メディアの注目が東北地方の被害の大きい地域にだけ集まり、同じように被害にあっていた北茨城や、3 月 12 日の地震でやはり被害を受けた長野県北部は、支援も受けられないまま孤立していた。しかし、これらの地域にいる人達が、その状況を Twitter など発信するようになり、大きな注目を集めるようになった。

 同様に孤立していた山元町についても、りんごラジオがサービスを立ち上げると、SimulRadioというインターネットラジオを経由して、世界からも放送を聞けるようになった。これにより、全国の山元町出身者や海外のボランティアが町の状況を知り、多くの支援が集まった。

 従来メディアとインターネットとの連携にも大きな可能性が見えた。

 多くのテレビ局やラジオ局では、見逃し/聞き逃しという放送の弱点を補うために、放送した内容を公式の Twitter アカウントで発信するようにした。また、ラジオ福島など一部の放送局では、リスナーからメールで情報を送ってもらい、その情報をラジオで読み上げると同時に Twitter にも流していた。

サービスをどう伝えるかが大きな挑戦

 今回の地震では Twitter での情報発信に大きな注目が集まった。しかし、取材中に Google のサービスについて話すと、「存在を知っていればぜひ使いたかった」という人が多かった。

 山元町のりんごラジオでは、町内の安否情報を伝えるために代表の高橋厚さん自ら避難所を歩いて回った。

 確かに、避難所として使われていた学校の体育館などにはインターネットの環境はなく、安否情報を伝える術がなかった。しかし、今後の連載で詳しく紹介するが、Google の安否情報サービス、パーソンファインダーには、インターネット環境のない避難所の情報をわずか数日で 14 万件も集めることに成功している。

 避難所に張り出された手書きの避難者名簿を、有志が携帯電話のカメラ機能で撮影して、Google の写真サービスである「Picasa ウェブ アルバム」に投稿。その手書きの名簿を 5000 人のボランティアが文字に起こして、パーソンファインダーに入力したのである。

 このエピソードには高橋さんも感心し、知っていればぜひ使いたかったと述べていたが、残念ながら山元町にはパーソンファインダーについての情報が入ってこなかった。

 Google は、インターネットにアクセスできない人のためにサービス概要のチラシを避難所などで配布したが、すべての地域に行き渡ったわけではない。高橋さんによれば、チラシがりんごラジオに直接届くか、隣接する町役場に届いていれば、目にする機会があったはずだという。

 同じことは、病院についてもいえる。建物の倒壊や津波で重軽傷を負った人や、亡くなった方々の多くは病院に運ばれる。そのため、大病院には連日のように、親類の安否を尋ねに来る人で溢れていた。特に、我々が取材した石巻赤十字病院では身元不明者を収容するテントも張られていたので、集まる人も多かった。だが、ここでもパーソンファインダーの存在は知られていなかった。

 安否情報を求めて人々が集まる場所に、パーソンファインダーへアクセスできるパソコンやタブレットなどの機器が置いてあったとしたら、それによって安心できた人は多かったのではないか。

 冒頭でも書いた通り、被災状況は人ごとに異なり、役に立つ情報もまた異なる。

 東日本大震災でGoogle などのサービスを利用した/しなかったかについて、皆さんからの情報を「お問い合わせフォーム」から送っていただければ幸いだ。

 今回のテーマ「被災地で IT は役に立ったのか」は、なかなかその全貌を掴むのが難しい。今後、皆さんからの情報を元に、さらに追加取材をして何回かにわけて検証をしていきたい。

【お知らせ】4 月 4 日(水)、インターネット番組「復興ハングアウト」が始まります

 Google のハングアウト オンエアという技術を用いた、「復興ハングアウト」というインターネット番組が始まります。これは東北被災地の復興に向けての取り組みを紹介する番組で、4 月 4 日(水)放送の第 1 回は、今回の記事で紹介したりんごラジオの高橋厚代表、ラジオ石巻の鈴木孝也取締役相談役、南相馬災害 FM 放送の今野 聡ディレクターをゲストに招いてのトークになります。

詳細はこちらのページを参照ください。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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