パーソンファインダー、東日本大震災での進化(1)

震災直後、Google が最初に立ち上げたのが、安否確認サービスの「パーソンファインダー」である。日米のエンジニアは、連携してパーソンファインダーの改良を進めていった。

2012 年 4 月 6 日掲載

パーソンファインダー、5 回目の起動

 米国西海岸時間の 3 月 10 日(木)22 時(日本時間 3 月 11 日(金)15 時)前、シリコンバレーの自宅でくつろいでいた Google 社員、カ・ピン イー(Ka-Ping Yee)の携帯電話に、クライシスレスポンスチームから 1 本のメッセージが飛び込んできた。

 第 4 回「クライシスレスポンスの仕組み」で紹介したように、Google 社内には世界各地で起こる自然災害に対応するためのクライシスレスポンスチームが常設されており、カ・ピン イーもメンバーの 1 人だ。日本時間の 3 月 11 日(金)14:46 に発生した東日本大震災を受け、クライシスレスポンスチームはすぐさま活動を開始したのである。

 カ・ピン イーが自宅のパソコンからクライシスレスポンスチームの専用チャットルームに入ると、すでに同僚のプレム ラマスワミ(Prem Ramaswami)とライアン フェラー(Ryan Falor)がディスカッションを始めていた。クライシスレスポンスチームが取る対応は災害の内容によって異なってくるが、多くの人にとってまず必要なのは家族や友人の安否情報だ。カ・ピン イーが中心となって開発した安否情報確認サービス「パーソンファインダー」は、2010 年 1 月のハイチ地震を皮切りに、同年 2 月のチリ地震、4 月の青海地震(中国西部の青海省チベット族自治州)、7 月のパキスタン洪水において活躍し、東日本大震災でも提供することが決定された。

 パーソンファインダーは、「App Engine」(アップエンジン)上で動作するウェブアプリケーションである。App Engine とは Google が開発者向けに提供するサービスで、開発や維持管理の手間を減らせるのが特徴だ。一般的なサーバー(ネットワーク上に置かれたコンピュータ)上でサービスを提供する場合、サービス提供者がサーバーの維持管理を行う必要があり、アクセスするユーザーや扱うデータが増えると新たなサーバーを用意したり、アクセスが 1 つのサーバーに集中しないように工夫しなければならない。これに対して App Engine では、アプリケーションをサーバーにアップロード(サーバーにプログラムを読み込ませる)すれば、すぐにサービスが利用できるようになる。パーソンファインダーは 4 度の経験を元に改良が加えられており、URL(インターネット上のアドレス)を決めさえすれば、ほとんど手間を掛けずに開始できるようになっていた。

 ただし、パーソンファインダーのメニューなどはすべて英語で書かれており翻訳が必要だった。まずカ・ピン イーらは日本語の読み書きができる社員を募って最低限の翻訳作業を行い、パーソンファインダーを起動させた。

日米エンジニアのコラボで、急速にバージョンアップ

パーソンファインダーのトップ画面で「消息情報を提供する」を選ぶと上図の入力画面になる。別のユーザーが状況のデータを追加することも可能だ。

 プレムは、面識のあった東京オフィスのブラッド エリス(Brad Elis)に連絡を取り、パーソンファインダーの外部向け公開と周知を依頼する。

 震災からわずか 1 時間 46 分後の 16:32、パーソンファインダーが公開された。

 この頃 Google 東京オフィスのこたつエリアには大勢の社員が集まり始めており、エリスはここでマーケティング担当の根来香里らと連絡をとってパーソンファインダーが開始した旨を Twitter などを通じてネットに発信していった。17:52 には災害情報特設サイトが公開され、パーソンファインダーはページのトップに掲載された。

 公開当初のパーソンファインダーは最低限の翻訳が行われていたとはいえ、まだ随所に英語のままの箇所が残っており、日本語として不自然な表現も少なくなかった。エリスは、Google ドキュメントのスプレッドシートに翻訳が必要な箇所を書き出し、他の社員の協力も仰ぎながら翻訳作業を進めていった。

 メニュー等の翻訳作業は 2 時間ほどで概ね完了したが、パーソンファインダーを使っていくうちに、いくつかの問題があることがわかってきた。特に、非スマートフォンの携帯電話から使えず、また検索機能には日本語特有の問題があった。Google の製品は最低限の国際化がなされており、パーソンファインダーも最初から漢字の入力や検索はできたのだが、漢字で 5 文字以上の名前を検索できなかったのである。また、読みがなの入力や検索もサポートされていなかった。ユーザーインターフェイスを翻訳するだけでは、日本人ユーザーに使いづらいため、プログラム自体を改良する必要が出てきた。

 そこで、モバイル系製品のプロダクトマネージャーである牧田信弘が、パーソンファインダーのプロダクトマネージャーを担当することになる。牧田はモバイル系に強いエンジニアらと協力しながら、パーソンファインダーの改良を進めていった。日本国内の(非スマートフォンの)携帯電話は、機種によって搭載しているブラウザや扱える文字コード(文字と固有番号の対応関係を決めたるルールのこと)の仕様が異なるため、実に細かなノウハウが要求されるのである。携帯電話版パーソンファインダーは 11 日の 23:50 に公開され、13 日(日)午前 2 時頃には携帯電話番号での検索もできるようになった。

 読みがな検索の問題については、Google マップ担当ソフトウェアエンジニアの川口良が担当した。震災翌日の 12 日(日)、川口は結婚記念のお祝いを兼ねて、東京ミッドタウンのホテルで家族とのんびり過ごす予定だったが、社内メーリングリストで検索の改良ができるエンジニアが求められていることを知る。そこでホテルにパソコンを持ち込み、妻に謝りながら検索機能の改良を進めたという。異体字(例:「渡辺」と「渡邉」など)を含めたあいまい検索や、漢字の読みを推定する機能は要望も多かったが、これは開発に時間がかかると思われた。Google のウェブ検索では、強力なあいまい検索や読み方の連想機能が備わっているが、パーソンファインダーは Google 本来のサービスとは切り離されたオープンソースのソフトウェアであるため、これらの機能を追加するなら自分でプログラムコードを書く必要があったのである。そこで、あいまい検索は後回しにして、まずはパーソンファインダーに読みがなの項目を追加するところから始めた。App Engine はデータベースの構造が柔軟で、アプリケーションで使う項目は比較的簡単に追加できる。

 パーソンファインダーの改良には、複数のエンジニアが同時に参加しており、変更/追加されたプログラムコードは膨大な量に上る。エンジニアの書いたプログラムコードは開発者用のメーリングリストに投稿され、コードレビュアーが問題がないかを確認し、問題なければ更新処理を行う。ちなみに App Engine では、動作中のサービスを止めることなく、機能の更新が可能だ。

 震災からの 1 週間、パーソンファインダーのコードレビュアーを担当したのは、米国本社のカ・ピン イーだった。特に最初の 2、3 日はほとんど寝ることもなく、コードのレビューを続けていた。

避難所の名簿を撮影して、ネットで共有する

避難所名簿共有サービスが生まれるきっかけになった高広伯彦さんのつぶやきと、それに対する賀沢の返答。高広さんは元 Google 社員で、「学生時代に阪神淡路大震災の被災地、避難所をまわった経験から、被災者が居場所を調べる手段として手書きの掲示が増えるだろうと思った」と言う。

 パーソンファインダーの改良が進む一方、別の課題が持ち上がっていた。11 日の時点で、データの登録件数が 3000 人程度と、予想していたよりも少なかったのである。どうしたら、データの数をもっと増やすことができるか。

 13 日(日)、突破口となったのは、元 Google 社員である高広伯彦さんのつぶやきだった。

「現地で手書きの安否確認の紙とか貼られているんだろうか?それをWebにアップ出来れば有益だろうか? picasaを使って簡単に作ってみたんだけど役に立つかな?」

 パーソンファインダーに直接データが入力されなくても、名簿さえ見られればそれで安否確認できる人もいる。写真を見ながら、他の人がパーソンファインダーにデータを入力していくことだってできる。Google の知名度を活かせば、もしかしたら写真が集まるかもしれない。

 Twitter 上に流れたこのつぶやきを見たシニアエンジニアリングマネージャーの賀沢秀人は、「全力でパクります」と高広さんに返し、牧田や根来とともに「避難所名簿共有サービス」のプロジェクトを開始した。

 最初に検討したのは、写真を共有するための方法だ。App Engine 上に専用の写真共有サービスを立ち上げることもできるが、開発するのに時間がかかる。ならば、Google の Picasa ウェブ アルバムにアカウントを作り、そこに投稿を集めればいいのではないか。

 投稿用の Picasa のアカウントは、賀沢の主張で「ganbare」に決まった。これなら聞き間違えることがないし、ローマ字の綴りもわかりやすい(あえて「gambare」にはしなかった)。普通のユーザーと同じ手順でアカウントを作り、大量の投稿があった時に備えてアルバムの容量も追加した。米国本社の担当者が設定すれば容量無制限にもできるが、時間が惜しかったこともあり、とりあえずは会社のクレジットカードでアルバムの追加容量を購入したという。

 しかし、賀沢らにはまだ確認すべきことがあった。避難所に張られている名簿をインターネット上に公開するのは、個人情報保護の観点から問題はないのだろうか。

 13 日の夜、賀沢らから「避難所名簿共有サービス」について相談を受けた法務部長の山田寛は、わずかの間ためらった。多数の他人の氏名と居場所が記載されている名簿の投稿を一般のユーザーに呼びかけ、それを公開するサービスは前代未聞である。個人情報保護法もさることながら、勝手に名簿を公開されることで、本人や関係者に迷惑が及ぶことにならないか。しかし、メンバーからの説明を受け、このサービスは切実に情報を求めている大勢の人々を助けることになると悟る。ユーザーを信じてできるだけ早くこのサービスを開始できるようにするべきだと山田は考えた。そして、名簿写真の投稿・公開は名簿管理者の承諾を得て行ってもらう、その方針や悪用しない旨をブログを通じて呼びかける、この構成にすれば行けると判断した。

「避難所名簿共有サービスは、被災されたみなさまの所在を知らせるためのサービスです。Googleが、送信いただいた写真を、このサービスの提供以外の目的で使用することはありません。上記の使い方に従っていない写真及びこのサービスの目的に沿わない写真の投稿はしないでください。Google が関係ないと判断した写真は削除します。また、避難所名簿共有サービスには、Google のサービス利用規約が適用されます。利用規約に違反する写真を送信された場合、写真が削除されることがあります」

 上記の文言を Google 公式ブログ 日本版に掲載し、14日(月)の午前 2 時から「避難所名簿共有サービス」は開始された。

 こうしたサービスを行うに当たっては、自治体の協力が欠かせない。パートナーシップ担当の村井説人は、日付が変わる頃から、青森、岩手、宮城、福島、茨城、長野、新潟の災害対策本部に電話をかけ続けた。真夜中にもかかわらず、各災害対策本部の担当者達はみな誠実に対応してくれたという。パーソンファインダーとは何かから、自治体が問題ないと判断したデータを提供してほしいという依頼まで、すべての対策本部に説明し終わった時には、すでに夜は明けていた。

 午前 2 時に開始された「避難所名簿共有サービス」だが、ユーザーから続々と投稿が続き、14 日だけで 1000 枚近くの写真が集まった。

 ユーザーからの積極的な情報提供に驚いた Google 社員たちだったが、さらに驚く出来事が待っていた。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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