クライシスレスポンスの仕組み

東日本大震災において、Google が数々の支援サービスを送り出せたのは、平時からクライシスレスポンスの仕組みが用意されていたことによる。この仕組みはどのように誕生したのか、そしてどう運用されているのか?

2012 年 3 月 23 日掲載

社員の主体性を尊重する文化

 東日本大震災のクライシスレスポンスでは、「コアチーム」と呼ばれた数人の社員が中心となって活動を行った。だが、このコアチームはもとから組織されていたわけではない。地震が起きた時点で災害対応を職務としていたのは、米国西海岸 Google 本社およびその他のいくつかのオフィスに分散しているクライシスレスポンスチームのメンバーだけであった。

 日本のクライシスレスポンスは、クライシスレスポンスチームのプロダクトマネージャー(当時)だったプレム ラマスワミ(Prem Ramaswami)が、東京オフィスで知己のあったブラッド エリス(Brad Elis)に連絡を取り、「パーソンファインダー」を始動させるよう依頼したことから始まる。

 ただし日本側でも、ウェブマスターの三浦健をはじめ、Google のクライシスレスポンスについて知識のあった何人かの社員は、活動を始める必要があるのではないかと話し始めてはいた。活動に積極的に関わりたいと思う有志の社員によって、チームは自然と形成されていった。

 震災後、しばらくの間、通常業務を止めてクライシスレスポンスの活動に当たる社員もいたが、Google 社内ではそれを当然のこととして受け入れ、とがめる様子もない。

 そうした体制を不思議に思う人もいるかもしれないが、Google 社員にとってはそれほど不思議でもなかった。なぜなら Google では、どんな業務をどんなやり方でいつ遂行するかは社員任せで基本的に自由となっているからだ。

 今回、Google が極めて早く災害対応に当たれた理由は、会社として普段から災害対応の準備をしていたことによる。だが、それ以上に大きかったのは、平常時から根付いている仕事のやり方によるのではないか。他の企業で働いた経験を持つ Google 社員らに尋ねたところ、同じ意見が返ってきた。

 そこで、まずは平常時の Google において、どのように仕事が進められているのかを簡単に紹介したい。

 Google では、所属するチームにもよるが、仕事の進め方については(仕事を行う場所も含めて)本人の裁量の余地が大きい。

 会社には仕事のスペース以外に、ビリアード台や卓球台、ゲーム機などの遊び道具もそこかしこに置かれており、これらで遊んでいる社員の姿も珍しくない。就業時間中に気分転換が必要とあれば、遊ぶことも自由だ。

 社員にやりたいようにさせておけば、きちんと仕事をこなしてくれる。Google という会社は、社員を管理するのではなく、信頼して任せる。

 また、就業時間のうちの20%(つまり月曜日から金曜日までの 5 日間のうち丸 1 日)は、自分の職務に関係のない好きなことを自由にやってよいという「20%ルール」が設けられている。Google ニュースや AdSense といった有名サービスのいくつかも、この「20% ルール」から誕生している。「20%」のプロジェクトにはエンジニアが 1 人で進めているものもあるが、大掛かりなチームで取り組んでいるものもある。社員は、プロジェクトの遂行上、必要な能力を持つ人材を社内(場合によっては社外ということもある)から探し出して自由にチームを作ることができる。

 これは 10 年以上 Google を取材し続けてきた筆者(林 信行)の個人的印象だが、Google は膨大な手間とコストをかけてトップクラスの才能を集め、その能力を最大限に活かせるよう彼らを信頼し、主体性を尊重することで、モチベーションと会社への忠誠心を維持する企業文化を育んできたのではないかと思う。

 これまでに取材をしてきた他の企業の中には、世界トップクラスの人材を雇い入れながら、その人がやりたくもなければ得意でもない仕事を与えて、才能とやる気を無駄にしてしまっている例が少なくない。それとは逆に、有能な人材にやりたいようにやらせた上で、成果を事業化していくのが Google のやり方なのだろう。

社内の理解が、自発的な災害対応を支える

 今回、東日本大震災で Google が行った災害対応(クライシスレスポンス)は、「20%ルール」にも似た、柔軟な形で営まれてきた。米国クライシスレスポンスチームから連絡を受けたエリスを含め、基本的に活動への参加は自発的なものだ。

 多くの Google 社員は、報道される被害の大きさに心を痛め、何かしなければならないという強い思いに駆られた。これは Google 社員に限らず、日本中の大勢が同じ気持ちを抱いたことだろう。ただ、Google では、会社が持つ巨大なバックボーンや優秀な人材、技術を自由に活用することができた。やりたいことを実現できるリソースもあれば、それを応援してくれる体制もあった。

 これは東京オフィスの社員達に限った話ではない。米国の Google 本社でも、日本人社員が震災の対応に当たるのは当然と見なす空気があったと河合敬一は言う。河合はストリートビューなどの地図製品を担当するシニアプロダクトマネージャで、震災の少し前、2010 年 11 月から米国本社勤務になった。当時、本業のプロジェクトが切羽詰まっており、震災発生時刻(米国西海岸時間の 3 月 10 日夜)も自宅で仕事をしていた。しかし、仙台出身の河合は、震災のニュースを聞いてからは気が気でなく、日本時間に合わせて震災関連の動きを追っていた。しばらくの間、会社にも行かず自宅からできる限りの災害対応を行っていた。翌週の水曜日になって、上司に「日本のことが気になって仕事ができないかもしれない」と打ち明けたところ、この上司は河合が自宅で何をしているかを十分把握しており、それでいいと言ってくれたという。河合は、それでも通常業務ができないことが気がかりで休暇届けを出すことも考えたが、米国本社に配属された時点で有給休暇のカウントはゼロにリセットされていた。上司はそんなことを気にせず、業務として災害対応に当たることを河合に許した。他の同僚も、「自分の生まれ故郷が一生に何回あるかわからない状況になっているのだから、それが当然のこと」として河合の行動を受け入れ、サポートをしてくれたのである。

 このおかげで、河合はしばらく被災地の航空写真の用意など、災害対応に専念することができた。Google の企業文化を十分理解していたはずの河合だが、この時はさすがに Google にいたことを感謝したという。

 何も河合だけが特別なケースではない。今回のクライシスレスポンスに当たった他の社員達も少なからず似た状況であった。災害対応への参加を表明した社員は自然とチームのメンバーになり、通常業務を離れたとしても、周囲の社員達はそれを当然のこととして受け入れサポートしてくれている。

 Google の災害対応は、直接関わっている社員だけでなく、だまって災害対応チームをサポートする他の大勢の社員も含めて成立している。

必要に応じて、周囲の協力が得られる柔軟なワークスタイル

Gmail のチャット機能を使ったコミュニケーション。相手ごとにポップアップウィンドウが開き、テキストでリアルタイムの会話を交わせる。

 それでは具体的にどれくらいの Google 社員が、どのようにしてクライシスレスポンスに関わっていったのか。

 クライシスレスポンスが始まると、自然とメーリングリストが立ち上がった。また、社内の一角には畳とコタツが置かれた通称「コタツエリア」があり、地震直後からここがたまり場になり始めた。メーリングリストが膨大な情報であふれかえってきたため、コタツエリアで直接情報交換を行う人も増えてきた。何かをやりたいと思った社員は、コタツエリアで人を捕まえて状況を尋ねたり、チャットに参加したりして、自発的にサービス開発などの作業に取りかかり始めた。

 さらに職能上必要とされた社員も随時巻き込まれていった。

 例えば、避難所の名簿を撮影して写真を投稿して公開することをユーザーに呼びかけてはどうかというアイデアが出たが、個人情報の取り扱いについては法務部の判断が必要になる。すると、担当者から、法務部の担当者宛にメールや Gmail のチャット機能で質問が送られ、やりとりが始まる。また、パーソンファインダーを世の中の人に広く知ってもらうため、広報活動する必要が出てくる。こちらも今度も同様にして、メールや Gmail のチャットで広報担当者を巻き込んでいくという具合だ。

 こうしたやりとりの中で、恒常的にクライシスレスポンスに関わるようになる社員もいれば、通常業務に戻る社員もいる。この判断も本人次第だ。ちょっとだけ何かの作業を手伝ったという社員も多いため、東日本大震災のクライシスレスポンスにいったいどれだけの社員が関わったのか、全体像は Google 自身も把握できていない。クライシスレスポンスチームの人間が通常業務を離れている間、彼らの元々の業務をサポートしていた社員も、クライシスレスポンスの間接的な協力者だ。そう考えれば、Google の全社員がクライシスレスポンスチームの一員だったともいえる。

災害対応に限り、承認プロセスも迅速化

 何か問題があると、「誰に相談したらいいか」を周囲の人間に尋ね、その人物に直接連絡を取り、問題を解決して先に進む。これが、Google では当たり前の業務スタイルだ。こうしたやり方のおかげで、Google では仕事がどんどん進んでいく。他の IT 企業を経験した社員に聞いても、Google の仕事の進め方はかなり速いという。それでも、新しいサービスを立ち上げる際、平常時であれば動作テストや品質チェックなどの承認プロセスに数週間から数ヶ月を要する。

 しかし、クライシスレスポンスではあらゆるプロセスが驚くほどのスピードで流れていった。ただし、ユーザーが適切な情報に迷わずたどり着けるよう、サービスの品質も維持しなければならない。そこで、現場にいる複数の社員が異なる視点からサービスを検討し、自分たちの責任の下、慎重にリリースを重ねていった。

 プロセスがスピーディに進んだのは何もサービスの公開に限らない。クライシスレスポンスのいくつかのサービスには、人に伝えやすいように「http://goo.gl/saigai」や「 http://goo.gl/ganbare 」といったわかりやすい短縮 URL が用意された。短縮 URL を発行してもらうために、米国本社の担当エンジニアにクライシスレスポンスの状況説明をすると、極めて迅速に設定作業を進めてくれたという。普通なら米国社員が起きているはずのない時間にリクエストを出したにも関わらず、すぐに回答が返ってきたことに驚いた東京オフィスのスタッフもいる。

 実は、米国本社のクライシスレスポンスチームが裏方として働いていた。当時、米国でクライシスレスポンスのプロダクトマネージャーをしていたライアン フェラー(Ryan Falor)は、東日本大震災が起きてからの数日間は寝食も惜しみ、活動し続けていた。

後方支援に徹した米国本社チーム

 東京オフィスのクライシスレスポンスチームは、その場で自然発生的にできあがったチームだったが、フェラーは災害対応を通常業務とする社員の 1 人だ。世界のどこかで大規模な自然災害が発生すると、フェラーら米国クライシスレスポンスチームの元に知らせが届く。チームは、災害の規模や種類、被災国/地域のインターネット環境や社会インフラなどさまざまな条件を総合的に見て、クライシスレスポンスを取る必要があるか判断する。

 東日本大震災に関していえば、ニュースで伝わってくる災害規模から、クライシスレスポンスを行うことはすぐに決まったと言う。

 活動にゴーサインが出たら、現地の Google オフィスが中心となってクライシスレスポンスを行うか、あるいは海外オフィスが担当するかなどを判断する。

 今回の震災では、幸いにして東京オフィスの被害が少なく、また米国本社が対応するには時差と言葉の壁という問題があった。そのため、東京オフィスに主導権を持たせ、米国のチームは後方支援に徹した。

 災害でどのような対応が必要かは、その都度異なり、土地柄も大きく影響してくる。現地での対応が可能な場合には、現地に任せた方がよいことが多いようだ。例えばニュージーランドのクライストチャーチ地震では、被災地でまっさきに問題になったのが飲料水確保だったがこうした状況は現地にいないとなかなかわからない。また、この地震ではGoogle が協力していた 3 つの機関が、それぞれ異なるフォーマットの地図を必要としていたが、こうしたニーズも国外からではわかりづらい。

 ここにさらに言葉の壁も加わると、確かに米国からの災害対応は大変そうだ。幸いなことに、日本では東京に大規模なグーグルのオフィスがあり、そこにクライシスレスポンスに当たろうとする社員達が控えていた。

 東京オフィスでクライシスレスポンスチームができあがると、フェラーのチームは過去のクライシスレスポンスの経験を元に、まずはどういう製品が役立つか、そしてどういった作業が後々役立つかといったノウハウを伝授した。

 ここでいう製品とは、例えば安否確認のパーソンファインダーなどを指す。また具体的なノウハウとしては「誰がどんなプロジェクトを始めたかを逐次記録する」といったことが挙げられる。東京オフィスではブラッド エリスが、この記録係を担当し、プロジェクトの重複を防いだり、全体としての動きの把握に貢献した。

 クライシスレスポンス中は、たくさんのプロジェクトが提案され、開発されたが、それらすべてが公開されたわけではない。中には大議論の末、ボツになったプロジェクトもある。支援物資に関する情報や放射能汚染に関する情報の提供サービスもその一例だ。米国のフェラーらは、難しい問題をどう判断するかについてもアドバイスを行った。

 米国チームは、このような直接のやりとり以外でも日本チームを裏から支援していた。フェラーらのチームは、日本のクライシスレスポンスチームが動きやすいように米国本社側の社内調整を行ったり、米国の政府機関や学術機関との橋渡しをした。先述の迅速な承認プロセスも、米国のクライシスレスポンスチームが、平常時から本社を説得し浸透させてきたものである。

 さて、 震災発生から約 1 週間後になると、災害対応の緊急度も下がり、米国チームの作業は一段落した感があった。東京オフィスで誕生したクライシスレスポンスチームも、パーソンファインダーをはじめとするツールに慣れ、それまでにない新しい活用方法まで編み出していた。すでにお互い十分な信頼関係が築けていたので、ここで米国本社のクライシスレスポンスチームの役割は終了とし、復興へ向けての災害対応は東京オフィスのチームに任せることになった。

災害のたびに学び、進化するクライシスレスポンス

 東日本大震災から約 3 ヶ月後の2011年 6 月 1 日、フェラーらのチームは、米国東海岸を襲ったハリケーン アイリーンに対してクライシスレスポンスを行っている。

 Google が行っている災害対応の歴史は古く、2005 年 8 月にニューオーリンズを襲ったハリケーン カトリーナまで遡ることができる。その後もハイチやチリ、上海、ニュージーランドでの大地震やパキスタンでの洪水などでも対応を行い、東日本大震災への対応は公式には 19 番目の対応となっている。

 災害が起きるたび、米国クライシスレスポンスチームの職場には、戦時中の作戦室のような緊張感が漂う、という。そして、1 つ災害を経るたびに、そこからさまざまなノウハウが蓄積され、災害対応に使われたツールも進化を積み上げていく。

 東日本大震災に帯するクライシスレスポンスでは、災害発生から 2 時間弱でパーソンファインダーを始めることができた。これを可能にしたのは、日本のクライシスレスポンスチームの頑張りだけでなく、パーソンファインダーそのものが過去の経験を踏まえて進化してきたからでもある。

 Google のクライシスレスポンスチームは、東日本大震災、ハリケーン アイリーンに続いて、紀伊半島を襲った台風 12 号(2011 年 9 月)やタイの洪水(2011 年 7 月)、トルコ地震(2011 年 10 月)でもその役割を果たしてきた。

 このうち、タイの洪水には季節的な要素もあり、従来のクライシスレスポンスの基準からすると対応しない可能性もあったが、最終的には対応を行った。それは洪水被害の規模が大きかったことももちろんだが、Google のクライシスレスポンスチームが経験を重ね、より少ない手間で災害対応をできる体制を整えてきたという理由もある。

 Google は、1 つ 1 つの災害を糧として、次に起こる災害ではもっと上手な対応をできるように学び続けているのだ。

 数々の災害対応に関わってきたフェラーも、東日本大震災は 1 つのマイルストーンだったといい、日本のクライシスレスポンスチームの対応を高く評価している。

 この東日本大震災での体験を無駄にせず未来に役立てるため、この連載では今後も積極的に取材を続け、未来への教訓を綴っていきたい。

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取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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