クライシスレスポンスの PR 戦略

Google のクライシスレスポンスでは、エンジニアが矢継ぎ早にサービスを送り出していった。生み出されたサービスを大勢に知ってもらうため、マーケティングや広報部はさまざまな形で情報発信を行った。

2012 年 6 月 22 日掲載

マーケティングと広報も、クライシスレスポンスに参加

 パーソンファインダーや自動車・通行実績情報マップなど、東日本大震災において Google が行ったさまざまなクライシスレスポンス(災害対応)は、インターネット上のメディアだけでなく、新聞やテレビといったマスメディアでも大きく報道された。

 エンジニアがスピーディにサービスを開発できたからこそ、クライシスレスポンスは可能になったわけだが、これらのサービスは大勢の人に使ってもらって初めて意味を持つ。新聞やテレビを通じて Google のクライシスレスポンスを知った人は少なくなかったが、その影には、できる限り多くの人にサービスや情報を届けようとした、マーケティングや広報の担当者の奮闘があった。

 2011年3月11日(金)の 14:46 までは、当然のことながら誰もがいつも通りに仕事をこなしていた。例えば、広報部の富永紗くらは新サービスについての社内向けレポートを自分のデスクで作成していたし、馬場康次、須賀健人らマーケティングチームは、3 ヶ月を費やした大型キャンペーンの最終段階にあり、CM の制作作業やクライアントとの打ち合わせに忙殺されていた。

 突然の巨大な揺れに驚いた Google 社員達だったが、これまでの記事で紹介してきたように、16:32 にはクライシスレスポンス特設ページを立ち上げている。この後、社内のコタツエリアの回りに集まった社員同士、あるいは社内メーリングリストにおいて活発な情報交換が始まり、クライシスレスポンスの活動は本格的になっていく。

 混乱した状況の中、広報部の宮家かおりはクライシスレスポンスの始まりを告げる記事を公式ブログにアップ。その後、富永らは公式ブログや Twitter の公式アカウントを通じて、矢継ぎ早に生み出されるサービスの告知に努めた。またマスメディアに対しても、クライシスレスポンスが始まったことをメールや電話、FAX 経由で伝えていた。

 社内に残っていたマーケティングチームは、進行中のキャンペーンに関する作業はそのまま進めつつ、情報収集などクライシスレスポンスの手伝いも並行して行い始めた。CM の調整作業を進めていた馬場は、震災によってキャンペーンがなくなるのではないかと感じていた。

クライシスレスポンスの CM を流す

マーケティングチームは、クライシスレスポンス特設ページを案内するシンプルな 30 秒 CM を制作した。

 週が明けて 14 日(月)になると、マーケティング本部長の岩村水樹は、キャンペーンの目玉であったテレビ CM 放映の自粛を決定する。知名度アップを図る CM をこの時点で放映するのは、ふさわしくないという判断であった。

 苦労を重ねて制作した CM がお蔵入りになってしまったことにマーケティングチームメンバーは落胆したが、その代わりにできることをしようと気持ちを切り替えた。

 震災直後からテレビ CM の自粛が相次ぎ、この枠を埋める形で公共広告機構(AC)制作のCMが大量に流れていた。Google 社内でも AC 制作の CM を流した方がよいのではないかという意見も出たが、購入した CM 枠を人々にとって役立つ情報提供に使おうという意見が勝った。馬場や須賀は、クライシスレスポンス特設ページを紹介するシンプルな CM を急ピッチで作り上げた。

「エンジニア達がすごいスピードでクライシスレスポンス特設ページなどを作っていきましたから、それをみなさんに知ってもらうのが僕らの役目だと考えました」(馬場)

「この時期に CM を出すことは、どのような CM であれ会社の宣伝をしていると非難される不安はありましたが、取るべきリスクだと考えました」(須賀)

 18 日(金)、大急ぎで作成したテレビ CM は、無事に全国ネットで放映された。

 テレビ CM の制作と並行し、マーケティングチームはさまざまなメディアへの広告出稿作業を進めていた。これらの広告出稿は元々の予定にはなかったため、一からの作業となった。

 まず、被災地の避難所にも新聞が届いている情報を得て、19 日(土)の全国紙地方版や地方新聞に広告を出稿する手はずを整えた。

 さらに、Google 東京オフィスとしては初めて、ラジオ CM も打つことを決めた。

「被災地をできる限りカバーできるようにしようとし 、特に岩手県、宮城県に関しては最大限に CM を打つようにしました」(須賀)

 Google ではクライシスレスポンス特設ページ用に「goo.gl/saigai」という短縮 URL を用意していたが、ラジオ CM ではこの URL をひたすら繰り返して放送した。

 やはりマーケティングチームの根来香里はオンライン決済サービスの Google チェックアウトを使って赤十字社への募金が行えるよう、赤十字社との交渉を行っており、13 日(日)には募金機能がクライシスレスポンス特設ページに追加された。平山景子は、パーソンファインダーのチラシを作成して、被災地の避難所に配布するよう手配した。

メディア対応と社内の橋渡しに広報チームが奔走

3 月 19 日の新聞各紙に掲載されたクライシスレスポンス特設ページの広告。図は、15 段を使ったバージョンだ。

 一方、広報部も多忙を極めていた。作業は大別すると、社外のメディア対応と社内の橋渡しの2つである。

 日本におけるクライシスレスポンスが開始されたあと、Google 米国本社の公式ブログでも東日本大震災についての情報を掲載していくことになった。東京オフィス広報部のクリスティン チェン(Christine Chen)は、米国本社と連絡を密に取って、日本の状況を逐一報告し、どの海外メディアにどのように情報を発信するかもすばやく判断していた。CNN、ABC といった大手米国メディアが東京オフィスのクライシスレスポンスを早い段階でレポートしたのは、こうした広報活動によるところも大きそうだ。

 Google ではそれぞれの社員に大きな裁量が与えられているが、それは広報部も例外ではない。大まかな PR 方針については事前に広報部長と話し合うが、個々の広報活動については各担当者に一任されている。エンジニアがサービスを仕上げるたび、富永はマーケティングチームと共にブログに掲載する記事を用意し、さまざまなメディアにプレスリリースを送った。

「とてもありがたかったのは、早くも 11 日に NHK がパーソンファインダーを取り上げ、何度も告知してくれたことですね。その後も、テレビ朝日が朝番組で避難所名簿共有サービスを紹介したり、毎日新聞の記者はその方の判断で避難所場所リストを提供してくださるなど、いろいろな方に助けられました」(富永)

 また、富永は社員同士の橋渡しの役も果たしていた。ほとんどのプロダクトマネージャーと顔見知りだった富永の元には社員からひっきりなしにメールやチャットで問い合わせが入る。相談されたプロジェクトに関係ありそうなエンジニアを紹介する、法的な確認が必要そうなプロジェクトは法務部に確認する、といった具合に膨大な量の対応を続けていた。

 震災から 2 週間ほどの間、根来らマーケティングチームと富永らの広報部は、毎晩 21 時頃にミーティングを行っていた。社内にいない人間は、ビデオチャットでの参加だ。この時間帯だったのは、エンジニアが開発しているサービスの完成度が公開できるレベルになるのが夜だったからである。マーケティングや広報担当者は、サービスの情報を共有して、PR の準備を行ったり、全体的な方針についての意思統一を図った。

「節電に役立つサービスを開発してはどうかという声もエンジニアからは上がっていたのですが、それはプライオリティが低いでしょうと議論したりもしました」(富永)

「毎晩遅くまでミーティングしていると、そのうち女性社員も平気でノーメイクのままミーティングに参加するようになってきましたね(笑)」(根来)

自分の職責、スキルで何ができるか

 震災直後から Google は多くのサービスを世に送り出したが、3 月の終わり頃には社内も平常運転に戻そうということになってきた。これに伴ってクライシスレスポンスの役割も災害支援から復興支援へと移行する。その後、マーケティングチームは「東日本ビジネス支援チャンネル」や「未来のキオク」といったプロジェクトを推進するが、これらについては回を改めて詳しく紹介しよう。

 連載で紹介してきたように災害直後からサービス開発や大規模に広報活動ができたのは、会社としての規模も大きく、インターネット上でもよく知られた Google だからこそ、という面はある。ただし Google の力を持ってしても、意図した通りに情報を伝えることができたわけではなかった。それは第 5 回「被災地で IT は役立ったのか?(1)」でも書いたとおりだし、さらに検証が必要な部分でもある。

 今回、筆者らがクライシスレスポンスの PR に焦点を当てたのは、エンジニア以外の人がどう動いたのかに興味を持ったからだ。

 サービス開発に当たったエンジニア達はある意味花形だが、その裏ではさまざまな立場の人々が自分にできることをしようと奮闘していた。前回紹介した荒井フードマネージャのように、食で社員を励ました人もいる。

 縁の下の力持ちの役割を演じた人は数知れない。災害支援に当たった人の仕事を肩代わりした人や、帰宅できない人のために部屋を提供した人、夜食の買い出しに行った人……。スポットライトは当たらないかもしれないが、それらは確かにクライシスレスポンスであった。

 自分の職責、スキルならどういう行動を取れるのか。Google の PR 活動は、1 つの参考になるのではないだろうか。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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