クライシスレスポンスを支えた夜食のパスタ

Google クライシスレスポンスチームの奮闘は、それをサポートする大勢のスタッフによって支えられていた。特に社員が感謝したのが、裏方であるフードスタッフの細やかな心遣いだった。

2012 年 6 月 15 日掲載

食事こそイノベーションを生み出す原動力

Google 社内には、社員同士がコミニュケーションを取るためのミニキッチンが随所に設けられている。

 楽しい時でも、悲しい時でも、不安な時でも、おなかが減るのが人間だ。そして、空腹が続くと人は惨めな気分になる。

 逆に、おいしい食事を取って、暖かくして、誰かといっしょにいられるのなら、困難に立ち向かう気力も湧いてくる。

 東日本大震災では、食事のありがたさを改めてかみしめた人も多かったのではないだろうか。

 被災地の避難所では、十分な食料が行き届かず、辛い思いをした人がたくさんいた。首都圏は損害が少なかったにも関わらず、震災の翌々日から、コンビニやスーパーの食料品が消えてしまった。不安に駆られ、目に付いた商品を片っ端から買い占めていった人がいたことは記憶に新しい。現代の日本において、食べ物の不足に脅える状況は久しくなかったことである。

 震災直後から六本木の Google 東京オフィスではクライシスレスポンスが始まっており、パーソンファインダーの立ち上げ、特設サイトの制作、種々のサービス開発、情報収集と、Google 社員達は寝る間も惜しんで作業に没頭していた。そんな彼らの励みになったものの 1 つが食事だった。クライシスレスポンスについて Google 社員に取材していると、震災当日の夜食に出たパスタに救われたとみなが口を揃えて証言する。

 Google という会社は、ふだんから食事を重視することで知られている。東京オフィスにも広いカフェテリアがあり、和洋中の料理が何十種類も並ぶ。デザートや飲み物も豊富に揃っており、社員はこれらを無料で自由に飲み食いできる。Google 創業者のラリー ペイジ(Larry Page)は「仕事場と食べ物は 150 フィート以上離れていてはならない」という信念の持ち主だ。

 筆者らも取材にかこつけて何度かカフェテリアでご馳走になったが、無料とは思えない料理のバリエーション、そしておいしさに驚かされた。ちなみに、筆者(山路)は、マンゴープリンがお気に入りだ。

 東京オフィス内には、カフェテリア以外に 7 箇所のマイクロキッチンがあり、飲み物やスナック類、果物、サンドイッチなどの軽食が用意されている。

 これほどカフェテリアやマイクロキッチンが充実しているのは、社員達が食いしん坊なせいもあるが、コミュニケーションスペースとしての役割を担っているからである。社員同士がコミュニケーションを取るきっかけが社内の随所に用意されているのが、Google の特徴だ。

 東京オフィスのカフェテリアを管理するのは、フードマネージャーの荒井茂太である。荒井は数十名ものフードスタッフを指揮し、メニュー作り、食材の仕入れ、衛生管理などの業務を日々こなしている。

 「『食』はとても大切です。ただ腹を満たすというだけでなく、おいしい食事があるから、カフェテリアやマイクロキッチンに集まろうということになるでしょう。社員のみなさんが部署を超えて会話をし、そこからイノベーションが生まれて、新しいプロダクトにつながっていく。私たちもそのプロセスに関与したいと思っており、おいしく楽しい食事を提供するよう意識していますね。私自身が厨房に立つこともありますが、できるだけカフェテリアの外に出て、Google 社員の要望を取り入れようと心がけています」(荒井)

震災当日、夜食のパスタが Google 社員を安心させた

フードマネージャーの荒井茂太。カフェテリアでパーティが催される時には、話をしながらでも食べやすい料理が、絶妙なタイミングで供される。それも荒井の心配りだ。

 2011 年 3 月 11 日 14:46、昼食の提供が一段落した荒井は休息を取っていた。突然の異常な揺れに驚いた荒井だったが、すぐにスタッフに指示を出して、火を使っている調理器具や電源の安全確認に当たらせた。同時に、情報収集や食材の確認作業を開始した。地震の被害はどれくらいか、社内にある設備や食材、調味料などに損害はないか、在庫は十分か。

 3 月 11 日は金曜日で、普段であればカフェテリアで夕食を取る社員は少ないため、あまり食材は使わない。だが、情報が集まってくるにつれ、帰宅できない社員もかなりの数に上りそうだということがわかってきた。そこで、食材を棚卸しし、どういう料理をどれだけ出せるのかを大まかに算出して、夜食が必要な場合に備えた。その後、出勤していなかった社員の安否確認、食材納入業者の状況確認、夜食の仕込みといった作業をこなしているうちに、夜になった。

 午後 8 時半になると、予想していたとおり、夜食が必要なことがわかった。帰宅できない社員が数百人程度いるにもかかわらず、周辺の飲食店も早々に店じまいをしており、食料品を売っている店もほとんどない。

 フードスタッフのうち 11 人も同様に帰宅できない状況にあった。荒井は彼らを夜食の調理に当たるグループと、その後の作業に当たるグループの 2 班に分けて、作業を開始した。

 この時のメニューは、和風、クリームソース、それにトマトソースの 3 種類のパスタ。荒井が夜食の提供を始める旨、社内にメールで伝えると、数百人の社員が食堂に押し寄せた。本来は夜食を提供する予定ではなかったため、食材も十分とはいえなかったが、中途半端に余っていた食材も臨機応変に利用しながら、何とか 200〜300人規模の夜食を提供することができた。

 余震が続く中、暖かい作りたてのパスタをいっしょに食べることがどれほど皆を安心させたことか。

「本当にありがたかったです。何かしなくてはと焦っている時に食べないでがんばり過ぎると、段々ケアレスミスが増えてきたり、つまらない諍いが増えてきてしまう。おなかがいっぱいになっていると、そんなに人は揉めないものですよ」(シニアエンジニアリングマネジャー 賀沢秀人)

 夜食の提供が終わった後、荒井らフードスタッフもようやく一息つくことができた。日付が変わって土曜日の始発電車でスタッフらを帰宅させ、荒井も午前中には帰宅の途についた。土曜日は自宅からメールで納入業者に状況を問い合わせ、何とか翌週からの食材調達の目処を付けた。

社員の出勤状態を把握して、カフェテリアを効率的に運営

 週が明けて、3 月 14 日(月)。Google 東京オフィスは開いていたものの、出勤してくる社員の数はいつもより大幅に少なかった。元々 Google は、社員に与えられている裁量が大きく、仕事する場所の自由度も高い。震災による不安や交通機関の不安定な状況から、自宅や家族の側にいた社員も少なくなかった。

 このような状況でも荒井たちフードスタッフはいつも通りに食事を提供しようと奮闘した。ふだんより営業時間を 30 分ほど短くしたり、夕食については事前注文制にしたものの、できる限りメニューの品目も減らさなかった。

「大変だからといって、カップラーメンだけで済ませるというのはやはりよくないと思うんです。こういう時だからこそ、品目も減らさないように心がけました。大量に調理してしまえば楽ですが、利用者の数が読めない時にそうすると食材が無駄になります。なるべくこまめに調理するようにプランニングして対処しました」(荒井)

 平常時なら曜日ごとの利用者はだいたい決まっているため、料理の量やスタッフの数も事前に計画できるが、利用者数が大きくばらつくとそれが難しくなる。

 利用者数をできるだけ正確に予測するため、荒井は Google のエンジニアと話し合った。そこで出てきたアイデアが、社員カードを利用する方法だ。Google ではセキュリティのため、ドアロック解除に社員カードを用いており、社員がどこを通ったのか確認できるようになっている。ふだん Google では勤怠管理を行っていないが、社員バッジ使用状況のデータは取得できるため、これをカフェテリア利用者数の予測に使うことにしたのだ。

 1:00 〜 10:00 の出勤状況データはランチ利用者の予測に、10:00 〜 15:00 のデータはディナーの予測にそれぞれ用い、料理の量やスタッフの調整を行う。利用後のトレイをカウントして実際の利用者数と照らし合わせてみるとデータの整合性は高く、効率的なスタッフの運用が可能になった。

 やがて 4 月に入ると、別の問題が持ち上がってきた。それは食材の供給だ。大手の食材納入業者は在庫も大きいため、3 月のうちは野菜以外の食材についてなら問題なかったのだが、4 月になるとかなりの食材について品不足が表面化してきた。

「ゴールデンウィーク前、ペットボトル飲料と乳製品は本当に枯渇状態でした」(荒井)

 荒井は、さまざまな業者に連絡をとり、ふだんとは異なるメーカーの製品をスポットで購入するなど、細かな調整を行った。自動販売機(「販売」といっても Google 社内では無料で利用できるが)の飲料についても、消費量の推移や在庫状況、代替製品についての詳細なレポートを業者に提出してもらい、品切れが起こらないよう細心の注意を払った。

風評被害に悩まされる被災地の農家を支援

 荒井らが取り組んだのは、Google 社内の食材調整だけではなかった。

 震災後、原発事故によって飛散した放射性物質によって人々の不安はかき立てられていた。はたして被災地の農産物は安全なのか? 不正確な情報は人々を混乱させ、風評被害によって被災地の農家などは多大な損害を被っていた。

 IT 以外でも被災地を支援したい。そうした声がGoogle社内で起こり、エンジニアリング サイトディレクターのジョー タナースキー(Joseph Ternasky)、シニアウェブマスターの川島優志、そして荒井は、被災地の食材を購入しようと動き出した。納入業者は、無農薬野菜の宅配を行っているオイシックスである。

 ただし、被災地の支援とはいっても、放射能について不安を持っている社員も少なくない。そこでオイシックスの出荷センターでは、野菜全品目についてガイガーカウンターを使って安全性を確認。荒井らは、食材の安全性について Google 社員に丁寧に説明を行った上で、これらの食材を使ったメニューを提供した。

 Google のような大企業が率先して被災地の野菜を購入し、それを大きくアピールしたことは、農家や流通業者にとって明るいニュースになった。

 さらに、日本酒やスナックなどについても被災地の商品を積極的に購入し、毎週金曜日に社内で行われる TGIF(Thanks God, It's Friday!:やっと金曜日だ!)などのイベントで提供するようにした。

食はすべてのインフラ

 東日本大震災において、Google はパーソンファインダーなどを始めとする、さまざまなサービスの開発に猛烈な勢いで取り組んだ。だが、クライシスレスポンスは、フードスタッフなど多くの人々のバックアップがあってこそ成り立っていた。

 もっとも、今回の災害においては、Google の東京オフィスが六本木ヒルズにあったという幸運もある。

 「計画停電により、他の企業では温かい食事を提供できなかった社員食堂もありました。自家発電を行っている六本木ヒルズだから、ガスも電気も使えてそこは本当に助かりました。電気が通ってなかったら、私も温かい食事の提供を諦めるしかなかったでしょう」(荒井)

 災害時には、直後の避難や救援活動だけでなく、事業継続(Business Continuity)も企業にとっての大きな課題である。平常時には見過ごされがちだが、食事は人々に安心を与える、なくてはならないものだ。いつも通りの業務を、非常時にこなすことがいかに大切であり、大変か。Google カフェテリアのエピソードはさまざまな示唆を与えてくれる。

 「食事はインフラです。それが途絶えたらどんなによい仕事も継続することはできません。私たちは、東京オフィスの Google 社員が 1 人だけになっても食事を出すつもりでいました」(荒井)

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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