回復、再建そして反映のフェーズに向けて

4 月になると、Google のクライシスレスポンスは危機対応から復興支援へとフェーズを移した。だが、東日本大震災への対応はまだ終わっていない。災害から得た教訓を私たちはどう活かすべきか? 取り組みは始まったばかりだ。

2012 年 3 月 16 日掲載

クライシスレスポンスは新たなフェーズへ

茨城県 つくば市立二の宮小学校 6 年生(応募当時) 高村 奈菜さんの作品「手と手をつないで」

 3 月末時点において Google の災害対応(クライシスレスポンス)では 30 以上のサービスが立ち上がっていた。4 月 1 日までには、並行して進めていた他のプロジェクトも一通り形になり、新採用の社員達の出社も始まった。目まぐるしいペースで邁進していたクライシス レスポンスの活動に、自然と一区切りがついた。

 もっとも、これは東日本大震災の状況が一段落したという意味ではない。

 被災地では、まだ仮設住宅は作られておらず、相変わらず避難所暮らしを続ける人達が大勢いる。大都市の仙台市においても、ようやく電気、水道に続いてガスが復旧し始めたばかりという状態だった。

 今後、被災地の人々に少しずつ平常を取り戻し、経済的にも復興をしてもらうために、Google がこの先できることは、まだまだたくさんある。クライシスレスポンスのコアチームの間では、それが何であるかは、東京にいてもわからないという共通の認識が広がっていた。

 現場で Google を含めた情報系サービスはどの程度使われているか、どのような情報のニーズがあるのか。こうした調査を行うため「Go North (北へ行こう)」のかけ声の下、チームで被災地に足を踏み入れ、クライシスレスポンスの活動を第 2 フェーズに移すことになった。

 これを受けて、製品開発全般の責任者で、米国開発チームとの橋渡しを務めてきた徳生健太郎は、クライシスレスポンス第 1 フェーズが終了したことを社内イベントで社員達に告げた。社員の中には通常業務を離れ、寝食を忘れてクライシスレスポンスに務めていた者もいたが、第 1 フェーズが終了した今、「Back to business」つまり、通常業務に戻ることによって有事の際にも役立つ基礎技術や製品開発に努めることも、これからの日本にとって大事なことだと説明した。ただし、一部の社員はこれからもクライシスレスポンスの活動を続けるため、彼らに仕事で協力を求めても対応が遅くなる可能性があることは付け加えた。イベントの様子は太平洋の反対側にも伝えられ、米国本社のクライシスレスポンスチームに大きな安堵をもたらした。

 さて、例年であれば、4 月 1 日になるとあちこちのウェブサイトでジョーク企画が競い合われるものだ。2011 年 4 月はまだ日本中が重苦しい雰囲気で包まれていたが、Google ではみんなが幸せになれるちょっとした「嘘」をつくことにした。Google は、小中学生を対象にホリデーロゴ(記念日などに Google のトップページに表示されるロゴ)を募集する 「Doodle 4 Google」コンテストを開催しており、2009 年のテーマは「私の好きな日本」だった。本来は優勝作品だけが掲載されることになっていたが(優勝作品は 2010 年に掲載されている)、4 月 1 日限定で、日本全国の各地区から選ばれた代表作品全 30 作を Google のトップページで紹介したのだ。

ニーズを探りに「Go North!(東北を目指せ)」

各地の商店主が登場する動画を使ったテレビ CM も放送された。

 4 月 4 日から、クライシスレスポンス フェーズ 2 のコアチーム は東北の被災地を巡った。被災地では県庁や市町村の役所、商工会議所、病院、さらには付き合いのあった開発者や震災後 Twitter でやりとりのあった人々を訪問し、被災後の様子や、現在どんなニーズがあるかを聞いて回った。ヒアリングの回数は 4 月 4 日から 8 日までの 5 日間で、10 回以上に及んだ。

 被災地を実際に巡ってみると、道 1 本を隔てて津波被害にあった建物とまったくあわなかった建物が混在している。全倒壊、半倒壊の建物に混じって、ほとんど被害にあわず通常通りの営みを取り戻そうとしている住居や商店や飲食店、事業主も多い。

 しかし、そうした事業主が無事かどうかは、実際に足を運んで確かめるか、相手がどんな状況かもわからないまま電話をかけて聞くしか方法がない。

 そこで Google は、企業版「パーソンファインダー」というべき「ビジネスファインダー」を開始した。このサービスは、店情報を場所ごとにまとめた「Google プレイス」をベースに作られている。ユーザーが情報やコメントを書き込むこともでき、その店の現状や口コミを大勢に伝えることができる。

 もっとも、店や会社の安否情報だけでは不十分だった。

 何せ日本全体に酒を飲むことさえ不謹慎という考えが蔓延しており、消費を抑制しようという傾向が強かった。そこで Google は 5 月に入ると、地元新聞社に訪問先の商店や飲食店などの様子を伝えるビデオクリップの撮影を依頼。被災地の商店主自らが、東日本各地の酒や名産品を食べてくれと元気な笑顔で語りかける「YouTubeビジネス支援チャンネル」を公開した。

 その後、「ビジネスファインダー」と「YouTubeビジネス支援チャンネル」をあわせた「東日本ビジネス支援サイト」をオープンする。

被災者の思い出と震災の記録を未来に残すためのプラットフォーム

「未来へのキオク」には、2012 年 3 月時点で 5 万点以上の写真が集まっている。

 Google が支援しようとしたのはビジネスだけではない。東北で被災した一人一人の思いにどう応えるかについても早い段階から考えを巡らせていた。

 特に「被災地が被害を受ける前のストリートビューを保存してほしい」という声と「今の被災地の状況を貴重な歴史的資料としてストリートビューで記録してほしい」という声は Twitter などでも繰り返しリクエストされていた。

 ただし、東北でヒアリングした段階では、まだ道路の復旧やガソリン供給も万全ではなく、被災者の間にもしばらく静かにしておいてほしいという雰囲気が漂っていた。このためストリートビューの検討は行いつつ、まずは 5 月に、一般ユーザーから投稿された写真や動画を共有できる「未来へのキオク」というサイトを立ち上げた。これは、震災によって大切な人やもの、場所をなくした方々のために希望につながる思い出を取り戻すこと、そして震災自体の記録を残すことを目的としている。NPO や報道機関、他のネットサービスと連携したことで、集まった写真や動画は 5 万点以上(2012 年 3 月現在)にも及ぶ。

 その後、津波被害のひどかった気仙沼市長の後押しもあり、7 月には被災前後の様子をストリートビューで比較できる「デジタルアーカイブプロジェクト」も「未来へのキオク」に加わった。

 Google は、これ以外にも坂本龍一氏によるチャリティー・コンサートの YouTube ライブ配信を始め、各種チャリティー活動の後方支援を行っている。

回復から、再建そして反映へ

 4 月を過ぎると、Google の公式ブログで紹介される新サービスには災害対応以外のものが増えてきたが、だからといって東日本大震災への対応が終わったわけではない。

 震災直後の 3 月、マーケティング本部執行役員マーケティング本部長の岩村水樹は、各国の Google オフィス代表が集まる会議で、東日本大震災に対するクライシスレスポンスの活動は、その被害の規模からも長期にわたって行われるべきものであり、おおまかに 3 つの段階からなるという考えを示していた。1 つ目の段階は「Crisis」で、差し迫った危機下での対応期間だ。2 つ目は「Recovery」で、緊急の状態から平常を取り戻すための期間である。

 そして、3 つ目は「Rebuild & Reflect」であり、再建と災害体験の反映だ。先述の「東日本ビジネス支援サイト」は Rebuild を、「未来へのキオク」、「デジタルアーカイブプロジェクト」は Reflect を象徴するサービスということになる。岩村によれば、Reflect という言葉には、つらい思いに向き合う人々を支援する、そして将来の教訓にするため記録を残すという、2 つの意味を込めたという。

 我々はすでに第 1 の段階を過ぎた。第 2 段階の状況については地域や人によって大きな差があるが、少なくとも第 3 段階はまだまだ始まったばかりであり、先の長い活動となる。

 今、みなさんが読んでいるこの記事は、Google が東日本大震災で行った情報系の取り組みがどのように役立ち、またどう役に立たなかったかを筆者らが調査しまとめているものだ。これも、東日本大震災から学んだことを次の災害への教訓にしようという「Reflect(反映)」活動の一環に他ならない。

 今回の震災で活用され、話題になった安否確認サービスの「パーソンファインダー」も、東日本大震災のためにゼロから作られたサービスではない。

 最初にパーソンファインダーが使われたのは 2010 年 1 月のハイチ大地震である。その後、2 月のチリ大地震、7 月のパキスタンの洪水、2011 年 2 月のニュージーランドのクライストチャーチ地震といった災害を経て改良が加えられ、進化を続けてきた。ちなみに、このパーソンファインダーの元となった技術は 2005 年に米国南西部を襲ったハリケーン カトリーナでも活用されたが、そもそものルーツはなんと 2001 年の 9.11 テロにまで遡る。こうした過去の教訓を糧にパーソンファインダーは改良されてきた。

 同様にして、東日本大震災で情報技術がどう役立ち、どう役立たなかったかを知ることで、悲惨な災害も未来への糧に変えられる。これから先、同じような災害に襲われた時への備えにもなるはずだと信じて、これから先のレポートをまとめていきたい。

取材、執筆、編集 : 林信行 / 山路達也

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